大往生だ。

多分95歳くらいだったと思う。

最後に会ったのは5年以上前のことだったと思う。

 

気丈な人だったが、90も超えてさすがに体力も落ちてきて

父の妹が無理やり施設にいれていた。

 

息子が生まれたとき、写真を送ったことがある。

写真を送ったのに、届いていないといわれ、

郵便局の人にわざわざ確認したらきちんと配達したといっていた

私も郵便事故になんてあったことないから、きっと届いていたんだと思う。

 

でも結局、息子の写真は届いたのか届いていないのか

おじいちゃんはみていないと思う。

その一件で、それ以降、写真は送っていない。

(そのときも確か親と喧嘩したけど)

 

5年以上前に一度会って、それから多分もう会うことはないなと思っていた。

会わないまま、たぶんおじいちゃんは死ぬんだろうなと思ってた。

いつか死ぬとは思っていたけど

それが今日だったんだ、と思った。

数日前におじいちゃんとおばあちゃんの夢をふと見たのだ。

おばあちゃんはとっくのとうに亡くなっていたのだけど、

夢の中では二人とも、すごく元気で幸せそうで笑っていた。

ああ、だから二人の夢をみたんだ。と思った。

 

95歳だからね、大往生だ。

若くして不慮の事故や病気で亡くなる人もたくさんいる。

そんなことを考えると長生きしすぎなくらいだ(不謹慎だけど)。

長い間会っていないし、悲しくもないし、涙もでない。

 

でも、人はやっぱり死ぬんだなあ。と身内の死に直面すると改めて思う。

ニュースや新聞で毎日のように人が亡くなっている。

人が死ぬなんて、聞くのに慣れているはずなのに、

自分の身内が死ぬとなるとやっぱりなんだか、それとは違う感覚が襲ってくる。

 

そう、「その日」はいつか訪れる。

いつかはわからないけど、絶対必ずくる。

それがふと、ああ、このタイミングか。ってふいをつかれたような。

 

なんか自分が死ぬときもこんな感じなのかな。

 

あ、私は死ぬのかな。

いつか死ぬと思っていたけど、今が私の死ぬときなんだな。って。

自分の死を疑似体験している気分なのかもしれない。

だから身内の死は特別な感覚を抱くのだ。