国防 | anna-frederica

anna-frederica

ブログの説明を入力します。

最近の保守派と呼ばれる論客やそれに影響された自称愛国者は、他国の侵略を想定して自衛戦争をするのは当然の権利であるらしい。

自国の安全を他国に委ねることなく自国の判断で自国で守ることは独立国家であれば当然なのだが、その自衛戦争における自衛権の意味が変わってきている。

自国を外国の攻撃から防ぐことを国防というのかと思っていたら、自国の安全のためには集団で相互に保障し合って、仲間が戦争を始めたら遠く離れた国へでも駈けつけることも国防に含まれるらしい。

またここでいう国の意味も変わっているようで、国とは領土と国民と主権が揃って国というのだと思っていたが、どうもそうではないらしい。

領土を守るためには国民は血を流す必要があるという。

逆に国民を守るために領土を失うのはいけないらしいから、国民より領土が上位のものであることになる。

TPPは日米同盟の強化のために必要だという議論が存在したことから、国防のためには主権の制限も許されるらしい。


明治維新以降、日本は5度の戦争を経験した。

そのうち前半の日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦と、後の日中戦争・太平洋戦争は戦争の戦略というか方略というか戦争のやり方が大きく違っていて、後者では国民の命をゲームの駒のように動かして、駒を消費する戦略をとっていた。


そもそも国防の上策は、戦争をしないことである。

戦争が始まって、戦闘が行われれば国民は血を流す。

これは下策。

民間人に被害が及ぶのは下の下である。

現代の戦争は、国際条約で民間人を攻撃しないことを前提としておきながら、それを平然と破って謝罪も賠償もしない。

勘違いから一国の大統領を拘束し一方的な裁判で死刑にした後で間違いに気づいても、そしてそのために国内が混乱しても、間違った戦争でも勝てば許される。

日本の総理大臣もいち早く支持を表明したにも関わらず、取り返しのつかない状態になっても謝罪はおろか間違いだったことすら認めようとしない。


真の国防とは戦争状態を回避して宣戦布告や偶発的な戦闘行為による戦争を未然に防ぐことである。

そして守るべきものは、国民と領土と主権であって、どれ一つ欠けてはならないはずである。

これを忘れて仮想敵国を設定し、国民の血を流す戦闘によって国土を防衛するべきだと主張する偽装愛国者こそ国賊である。