Kowのきままにブログ

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きままにおもうままに
日常でいろんなこと思うことを書いていきます。

けっこうこちらでは際どいことも書いているかも?です。

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その一言が人を傷つける。


この一言を言った後に何が起こるかを考えられるか?


これは、よく言われた言葉だ。


かなしいかな、なかなかこのことが考えられないときがある。


感情的に物事を話すときは無理だ。


ただ、これができなければ、とても社会人としてはやっていけない。


大臣が、自身の発言で、


数日で辞任に追い込まれた。


言葉、一言一言に重みがあり、耳に入った人の心に残るモノだ。発して消えるモノではない。


一国の国務大臣の発言と成ればなおさらだ。


国会議員は世間知らずが多いと、また政治不信を招く。被災地からは失望の声が相次ぐ。


野田総理も大変だが、任命責任をとわれるから、自業自得と成る。


言葉、無ければ大変だが、使い方を間違えると自分の身を滅ぼす。


口から出た災いというのは、なるほどよく言ったモノだと改めて思う。自戒も込めて。

視野が狭くなると言うのは悲しいことだ。
「人のその一面だけを見て、決めつけてしまうと言うのは良くないことだ」という正論はわかる。

だが、自分が嫌いなモノは嫌い!というのが本音だ。

好き嫌いしないで接することも大事だが、それは建前だ。

本音の自分をさらけ出すに当たっては、自分の好き嫌いが左右される。


視野狭くなるという危機感があるものの、それも「いやなものはいや!」

といえなくなったときが自分でなくなるときなので、


これだけは譲れない。

それでも良いじゃないかと今は思う。



今にして思えば、自分も就職氷河期に就職した。


当時も今も変わらないだろうが、「自己分析」からはじまらい、自己表現のネタ探しをしたりして、


エントリーシートを書いていった。


あり得ないかもしれないが、自分は大学時代にこれといった経験がない。


唯一ゼミに入っていて、どっちかというと「遊んだ」と言った経験はない。


彼女もいなかったし(いまだにいないけど)、留学したり、海外旅行すらしなかった。


バイトもしなかった。派手な出費をしなかったので親の仕送りで十分だったから。


正直一人暮らしと格闘していたと言っていい。


そんななかで、いわゆる就職のハウツー本を書店で読みあさると、


「いろいろ大学での経験を面接で話す」みたいなことも書かれていた。


正直参った。ゼミで頑張りましたというのもりっぱだけれど、当時そこから話を広げられず悩んでいた。


そのうち「自分」を見失い、精神的に追い詰められていった。就職活動自体やめたくてしょうがなかった。


100社も200社も受験する強者がいたりしたが、自分にはまねできなかった。


絞られた選択肢の中で、選んだ業種は、自分が一番やりたくなかった「営業」だった。


でも、やりたいことを探して就職できる人はごくわずか。就職できれば御の字という時代だったから、


そんなことは言ってられなかった。


公務員は今ほど門戸を開いていない時代で、一浪覚悟で受験する人が多い中、


自分は大学を一浪で入ったので、就職は現役でせざるを得なかった。


そんな自分もことしで今の会社に入って10年が過ぎた。


何とかなるモノだという気持ちと、これからどうなるのだろうという気持ちは入り交じっている。


その就職活動で何を得たか。それは、「自分をいかにさらけ出すか」だ。


いかに自分を理論武装しても、面接官は見抜いている。


うすっぺらい大学時代の経験を話すなら、自分をさらけ出して「それでも取ってもらえないならしょうがない」


と開き直ってみるのも手ではないだろうか?


もちろん大学時代に全く打ち込んだことがないという人は、今の自分を隠すのはやめた方がいい。


そのうえで、かっこつけずに自分を語れる練習をすると良いんじゃないだろうか?


就職活動というニュースを聞くと、いつも自分の頃のことを思い出す。