生まれて初めての避難所での朝を迎える。

市役所の避難民に対する配慮か、9階という環境のせいか、毛布一枚でも暑いくらいだった。暑いのと、原子力発電所問題で不安なのと、余震と、慣れない環境のせいか、あまり良く眠れず。

オーさんがお腹が空いたという。深夜に到着したため、食料の配給があるかも分からなかった。ちょうど前日に購入したオニギリがあったので、それで朝食にする。

少しすると配給のお知らせが。マサジ君とオーさんが取りに行く。避難民らしからぬ量のパンを頂く。あの状況だと良くて長引き、悪くて仕事を失い、被災していない家を失い、今までに買い揃えた物を失う事態に陥るので、パンは今後の食事ために大切に食べることにする。

他の避難民の方々がスーパーの袋を持って帰ってきたのを見て、思い切って声をかけてみると、近くのスーパーが営業しているとのこと。早速行ってみることに。お惣菜やカップラーメンは、ほとんどなし。駄目元でお店の人に聞くと、ごぼうサラダならあるらしい。少し待ってみることに。野菜不足だったので、ありがたい。

スーパーから帰り、少しすると市役所の人の話がある。どうやら、避難所設置の管轄が国から県に移って、避難所を増やす意向らしく、市役所の避難民はみな他のホールへ移動とのこと。居心地の良い所だったので、不安はあるが、仕方ない。荷物をまとめて移動する。

以前行ったことがある場所なので、ナビの設定も楽々。ホール通路に眠ることになるようだ。最初は2階に陣取るも、諸事情により3階に移動してみる。

3階は2階と違いひどく寒い。これもまた不安。とりあえず、このままいることにする。かなりの避難民が移動してきたので、すぐに一杯になる。

布団の配給が始まる。持参の毛布だけでは寒さをしのげないと思い、様子を見に行く。が、年配の方々、小さい子供たちも多数いたので、あまり期待はしない。

しばらく見ていると、がっかりした出来事が。みな寒いのは分かる。みな敷布団も欲しいのも分かる。でも、係りの人の指示なぞ聞かずに、順番無視で布団争奪戦とはどうなのよ?結局のところ、何時間かして、複数毛布をお借りしても余るほどの毛布が届き、大事にはならなかったけれど、がっかりである。

それにしても寒い。周りを見渡すと、寒そうな年配の方々、おでこに冷えピタを貼った小さな子供の存在に気がつく。階段の方がよほど暖かい。思い切ってスタッフの方に聞いてみるが、どうにもならないとのこと。せめて健康で体力のある者と代わってあげるとかできるといいのだが、すでに場所取り合戦も終わり、みな落ち着いたところだったので、今更どうにもできない。少しでも暖房が入り、電気もあるのだから、ありがたいのだから。

食料の配給があるかも分からないまま時間は過ぎる。大人は我慢できても、小さい人には酷なので、手持ちの食料のない方々に申し訳ないと思いつつ、オーさんに昼間に買っておいたもので夕飯を食べさせる。

夜8時過ぎから食料の配給が始まる。まずは1階の方々から。始まったと思ったら、
食料が尽きたようだ。30分ほどして、2階の配給が始まる。同時期に豚汁の配給も始まる。急場しのぎの避難所だったようで、全員に行き渡ったのは、夜10時近く。豚汁はホンの一部の人にしか行き渡らなかったようだ。我が家にきたのは、オニギリ3つだった。

隣のスペースにも小さな子供が3人。いつの間にか一緒に遊び始め、何故か懐かれ折り紙でツルを折っていた。

オーさんは和式トイレの経験はあるが、明かりのない仮設トイレは怖いようで、なかなかトイレに行きたがらず、昨年夏以来のオムツ着用に。持ってきて良かったアンパンマンオムツ。が、教育の賜物か、オムツでせずに我慢してしまう。仕方がないので、励まし励まして仮設トイレへと連れて行く。何度も行っては嫌だと泣いたが、なんとか成功。良かった。

寒さの中、親子3人でくっついて避難所2日目が終わる。


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3月12日

早朝に目が覚める。町の放送が何か言っているなと思っていたら、父から電話が入る。前夜、余震の度に目を覚まし、その度にネットで1Fの状況をチェックしていた私は、寝不足。電話の最中に放送を聞き、どうやら避難勧告が出たことが判明。でも詳細は聞き取れず。

夫君も起きたので、避難の準備を開始。オーさんを起こす。車に積み込んでいると、 同じアパートの住民も外に出て来たので、情報交換。

数日の我慢かと思い、少量の荷物と共に役場に向かう。役場で隣村に避難と言われ、向かう。

が、道路は渋滞。30分で着くはずのところが、町内で2時間前後の渋滞。全く進まない。途中の交差点で、隣村は一杯だから、他へ行けと言われる。

行くも、避難所はすでに一杯。更に遠い場所へと言われる。途中、コンビニが開いていたので少し買い物を。船引のスーパーも開いていたので、並んでオニギリと魚のフライなどを買う。

三春の避難所に落ち着く。テレビで1Fの1号機の爆発を知る。当時は何故爆発したか分からず、最悪の事態を想像し、手が震える。

生まれて2年のオーさん。これから楽しいことが目白押しなはずなのに、こんなことになるなんて。被爆させてはいけないと思い、夫君を説得し、落ち着いた三春の避難所を後にすることを決める。

車に荷物を積み込み、高速道路の入り口まで行くも、許可証が必要とのことで、下道を行くことに。郡山で4号線へ。福島市への途中、土砂崩れで迂回路へ。

道中、田んぼに落ちた車を発見。人がいたらいけないと思い、懐中電灯で照らして中を確認。いなかったので、再び福島市を目指す。

このまま夫君の実家を目指そうと思ったけれど、夫君は風邪だし、オーさんも疲れているだろから、福島市界隈の避難所に行ってみることに。

福島市役所へ行ってみると、まだ大丈夫な様子。市役所の9階で寝る事に。暖房は暑いくらい。トイレもキレイ。言う事なし。夫君の実家のライフラインが今ひとつなら、数日ここにいても良いかとおもい始める。



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地震のあった夕方のこと。

夫君の実家に連絡を入れ続けるも、全く繋がらない。公衆電話を試そうと、駅へ向かう。駅周辺は、古い土地のせいか、マンホールは隆起、水道管か下水道が埋まってそうな辺りは陥没、道路は地割れ…家々を見ると、瓦は屋根から落ち道路に散乱、ブロック塀は崩壊。これまでテレビでしか見たことがないような、信じられない光景を目の当たりにした。

駅に着き、電話するも繋がらない。老人ばかり4人だけの家なので、心配はつのる。

家に帰る。地震発生当時は、停電も一時的だから食事の心配はしていなかったけれど、少し前見た地震の痕跡で、いよいよ心配になってくる。

お釜の中に少しだけ残っていたご飯と、冷蔵庫の中に夫君のお弁当のために炒めていたお肉の存在に気がつき、取りに戻る。

車の中で激しい余震をかんじながら、冷たい夕食を食べる。

夕食後、実家の様子を見に行くと、全員無事で部屋の片付けの最中だった。私達も家に戻り、せめて眠るスペースをと、片付けをする。

キッチンでは色々な物が床に落ちていた。PC、ガスコンロも床に。驚いたことに、ドラム式の洗濯機も倒れていた…

割れた食器は少数。上のカップボードに入れていたバカラのグラス(未使用、箱入り)は諦めていたのに、天井近くから落下したにも関わらず、何故か無傷。別なカップボードにいれていた使用中のバカラも無事。強いぞバカラ。

少し片付けて、車に戻る。オーさんが布団で寝たいと泣いたけれど、
怖いので車で寝るように説得。深夜まで車に居るも、部屋に戻り布団で寝ることに決定。オーさんを起こさないよう運ぶ。


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