こんにちは。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。
ブログ管理人の 高坂 美慧 です。
「武田信玄は、父親似?母親似?」シリーズの最終回を
武田とみさんとお話ししていきます♪
美慧: とみさん、とみさん、
前回のお話で、高野山の中に武田家は二つの菩提寺があった、
ということを初めて知りましたが、
そこから全く違う肖像画が残されていた、というのも驚きでした
とみ: そうだわね。どのような経緯で二つのお寺が存在したのかは、
正確にはわからないかもしれないけれど、
いずれ、また高野山をこのブログでも紹介する際に
それぞれのお寺を見ていきましょうね。
美慧: はい。伊勢からも近くなりましたので、
いつか私も参拝してまいります
とみ: それでね、今回は、いよいよ、
信玄さんのお父様・武田 信虎公 と お母様・大井夫人の
肖像画だわ。まずは、ご両人を並べてご覧いただきましょうね。
とみ: こちらも信玄ミュージアムで紹介されている肖像画なの。
武田信虎公の肖像画は菩提寺である大泉寺に現在も大切に保存されていて、
甲府駅北口の銅像のモデルとなったものよ。
大井夫人の肖像画は菩提寺である長禅寺に現在も残されているもの。
注目すべきは、描いた作者が一緒というところなの。
美慧: そうなのですか?
すると、作者は都(京都)からの?
とみ: いえ、都ではなくて、甲斐の絵師さんよ。
美慧: え?甲斐の?
とみ: そう。しかも信玄さんのご兄弟。
弟の武田逍遙軒信廉(信綱)公よ。
美慧: 信玄さんの弟君ですか
絵師でいらっしゃったのですか?
とみ: そうなの。
信廉さんは信玄さんとも顔が似ていたと言われている
兄弟なのだけれど、絵がとても上手で幾つか作品が残っているの。
信玄さんと同じお母様から
生まれているのでこの二つの絵は、
ご両親を描かれたことになるわ。
いずれもお亡くなりになった際の
今でいう遺影のようなものとして描かれたそうよ。
絵としては、大井夫人を描かれた時は二十代前半、
信虎公を描かれた時は40代前半と推定されているので、
お父様の方が絵の技巧がより磨かれて描かれている感じかしら。
美慧: とみさん、
「○○○も鑑定団」の先生みたいなコメントです〜
とみ: あらあらとんでもない!
美慧ちゃんは、この信玄さんのご両親の絵を見て
どんな印象?
美慧: そうですね〜。
信虎公は晩年でも眼光の鋭くとても強そうで
精悍なお顔立ちでいらっしゃったのだなぁ、と。
大井夫人は対照的に静かで落ち着いた感じです。
繊細な方だったのかな?とも感じます。
とみ: そうね。
当時の意識で武士へのイメージ、女性へのイメージも
反映されているのでしょうけれど、
甲斐国をようやく一つにまとめ上げていった
信虎公のエネルギーのようなものを肖像画からは感じ取れるわね〜。
一方、大井夫人からは、確かに「静けさ」「冷静さ」が
表れてもいるような…。
とみ: 美慧ちゃん、信玄さんはどちらの親御さんにより似ていらっしゃると思う?
美慧: うーん。どちらでしょう??
大きな眼は信虎公のように思われますが、涼しげですね〜。
鼻と口は大井夫人かしら??とも感じます。
とみ: なるほど〜。面白いわね〜。
今回は、ここまでとして、この先は、読者の皆さまにお委ねしましょう
現存する中で、親子の肖像画として一番近しいものを見比べてみたところでね、
本当は、信廉さんが描かれた信玄さんの絵が、しっかりと残っていたなら、
どんな風に比較できただろう?って感じたりもするわね…。
美慧: そうですね〜。
さあ、皆さまからご覧になって信玄さんはどちらの親御さんに
似ていらっしゃいますでしょうか?
ご意見お待ちしております〜