こんにちは。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。
ブログ管理人の 高坂 美慧 です。
前回から引き続き、信玄さんのお顔がお父上似か?お母上似か?
武田 とみ さんと お話ししていきます。
美慧: とみさん、前回の信玄さんのお顔、甲府駅南口の像が実在とは
離れていたものらしい、という点については、
かなりの驚きがありましたが。
とみ: そうだったわよね。たくさんの方もそう思われていたかも。
案内している私でさえも、そう感じた一人。
そもそもね、
武田信玄の肖像画として注目されている絵というのはたくさんある中、
代表的な絵というのは3点ほど。そのうちの高野山に2点あってね。
こちらをご覧いただこうかしら。
美慧: なんと!武田家の菩提寺は高野山の中に二つあるのですか
?
とみ: そうね。
でね、甲府駅南口の信玄さん像のモデルになったものは「成慶院」の肖像画。
武田信玄像と伝わっているのだけれど、
この肖像画が別の人物であった可能性というのが出てきていてね。
一方、「持明院」の肖像画が信玄さんがまだ出家前の
”晴信”の時代に描かれたとされる肖像画。
この「持明院」の絵の方が、現在では有力視されているの。
証拠はお召しになっている衣の家紋が「武田の花菱」で、
たくさん描かれているから、とね。
美慧: な、なるほど〜
とみ: その絵が信玄ミュージアムにも飾られていてこちらよ。
美慧: 見たことあります。
涼しげな目で、とても理知的な感じが漂っています〜。
とみ: これはね、作者が誰か全くわからないのだけれど
信玄さんが甲斐の国主になって5年前後くらいの時期に、
京の絵師、またはそのお弟子さんなどに描かせたものではないか?と
伝えられる一枚なの。
持明院には、信玄さんの後継となられた勝頼さんが、
いよいよ甲斐武田氏の情勢が極めて危なくなった際に甲斐のとある住職に依頼し、
奉納された、との記録が残っていて、同時によく知られている勝頼さんの肖像画も
収められたそうなの。
美慧: そうだったのですね。
二枚の絵の雰囲気はだいぶ違いますものね。
とみ: そうね。謎が多いというのもある側面では面白いわね。
しかし、今回は、この高野山の持明院に奉納された信玄さんの肖像画とともに、
次回、お父上似か?、お母上似か?を見ていきましょうね。
美慧: はい。信玄さん、どちらなのだろう???
とみ: ちなみにね、実際こんな風な本も出版されてるのよ。
この本の表紙になっているのも、近年注目を受ける肖像画の一枚。
東京の九品仏として有名な浄真寺に納められている別の武将の肖像画だったのだけれど、
実は信玄さんなのでは??という説が浮上しているんですって。
美慧: そうなんですか
謎が多いですね〜。
しかし、するとあの体格のいい信玄さんは ??
イメージがどんどん変わっていきますね〜。