タモリの功罪 知育の発達 卓球 | こうちゃ・Days

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調子のイイ日も良くないひも あってあたりまえ
頑固になることもそうでもない事も。。

タモリの功罪

彼のデビュー当時のネタでマイクの前に立ち、外国から飛んでくる遠いラジオの電波の音声を巧みにまねて、アルあるを募ったのがあった、センスのいいネタ。
他に卓球ネタ
トークの中で「なんか暗い体育館の端っこの方でコチョコチョやってる・・・」
根暗発言にアルあるを募った面白いネタ。 私が高校生ぐらいだったろうか。
 
私は中学の3年間卓球に勤しみ熱中したのだけれど

あっそうかぁそういう見方もあるねェ。。なんて面白く聞いた。

根暗とか根明 そんなことは一向に気になってなかったからだ。
 
それ以上に卓球に打ち込んで3年間に得たものが大きかったからだ。

熱中したおかげで心にもなんか余裕が増えたし、
継続で昨日まで出来なかったことが
ある日
ふっっと、そんな壁を乗り越える快感を自身の中に体感できたりした。

どうしてか2年の終わりに部長に選出された。
新たな重圧感と理想と責任を体験できた。同志の大切さを認識した。

中学を卒業し、思いとしては高校でトッププレーヤーを目指したかったが、3日間の体験入部を終え、物足りなさを感じたのと「明日から坊主頭なっ」という一言で改めて先輩をみるとクリクリ頭だった。
大したことないのに坊主頭かよ、このクラブは・・・。
格好から入るのが大嫌いでもちろん校則の範囲でだが、相反する表現かもしれないが、自由に地味でもなんでも個性を尊重したかった。
そんなことで卓球部入部には縁がなかった。

45年ぶりにまずは弱った身体を少しずつスポーツ向きの体に仕上げるために始めたところ、徐々に足のもつれが無くなり結果を出すまでには至っていないが大会にも出始めている。
体幹は少ししっかりしてきたようだ。競技卓球へのチャレンジは続けたい。
 
さて、そんななか昨日の練習中、隣でやっていたグループの練習を見て今日これを書いているのだ。
そのグループは小学生から若い社会人ぐらいのメンバーを40.50代のコーチがこまめに教えている。練習方法も基本から高度な技術までおのおのシステマチックに行っていてほほえましく思った。
 
私の中学時代はほとんど独学、コーチなんていなかったなぁなんて思い出した。
 
先日TVの放送で「でんでん」が出ていた卓球ミニドラマにこんなシーンがあった。
「タモリの卓球根暗ネタで、恥ずかしくて卓球をやっていたともいえない時代があった」
なんてのを思い出した。
 
私の町では数年前中学生が河原で殺されたニュースがある。
身も心も凍った。あの川崎の事件同様に・・・。
被害にあったその子はやはりバスケットボールをやっていたらしく当時クラブからは少し足が遠のき時間を持て余し、付き合いやバイクの件などでギャンググループと関係を持ったようだ。
 
学校のクラブや時間の持ち方などうまく導けていれば防げたかもしれない、多様性の中に柔軟に対応できなかった我が町(市区町村)、貴重な命を救えなかった私も含む社会全体の責任だ。
 
昨日の様な隣で行っていた小学生を含むグループを見ていて、この重要性を再確認した。
 
つまり、「でんでん」が言っていたTVドラマの中の様な時代に幼少期や青年期に多くの人が卓球をスポーツとして経験する人が減ったのだ。
卓球というのは多くがインドアで行うスポーツ、これは大切なこと。
その要素として第一に多様化した心身の成長格差に柔軟に対応しやすく確実に続けることで知育の発達に寄与できる。
そして、健康卓球、競技卓球いずれにも無駄なく安価に行える。
 
私は卓球を経験したことによりあらゆる球技スポーツが楽しくなった。
あの小さくて軽い球が教えてくれた奥深さ、面白くて自身が行う3年間の継続を与えてくれた。
中学当時触れることができた荻村伊智郎のエピソード。
これは私にあらゆるものに積極的にかかわること、自分からアクションを起こし始めること考えること工夫すること多角的に物事を観ること探求の楽しさなどなど計り知れない。
 
タモリの功罪とは
それを尺取りのために使ったメディアとそれになびいた社会、風潮、時代背景というところだろうか。

あらためて、モノゴト慎重に見極めアクションするということを提案したい。

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ありがとう