ニューヨークのグラウンド・ゼロ跡地に建設されたワン・ワールド・トレードセンタービル。このほどテナントが入り、稼働し始めました。このテナントでは、来年2月までに3400人ほどの従業員が働く予定とのことです。



同時多発テロの深い傷を思い起こさせる跡地の利用については、アメリカ国内でも様々な議論がありました。その結果、メモリアルパークと4棟の高層ビルを建設することとなったのです。



このビルは独立した年にちなんで1776フィート(541メートル)と、全米一の高さです。また、周辺には9・11追悼博物館がオープンしています。



日本でも、災害の遺構を保存する取り組みが各地であります。
例えば、阪神・淡路大震災を引き起こした淡路島の野島断層は、断層の真横にあった家と共に保存され、公開されています。
また、先日発生から10年を迎えた新潟県中越地震でも、震災遺構を「中越メモリアル回廊」とし、地震により崩れた土砂でできたダムに沈んだ家屋等を保存しています。



東日本大震災の被災地でも、震災の爪跡を後世に伝えていく工夫が行われています。
有名なのは、奇跡の一本松保存プロジェクト。陸前高田市の景勝地・高田松原にあった約7万本の松のうち、1本の松だけが津波に耐えたことから、復興のシンボルとなりました。
この松はやがて枯れてしまいましたが、市はレプリカや防腐処理などを駆使して復元しました。



しかし、復興のシンボルが保存される一方で、その費用が1億5000万円ということや枯れ木を復元させるということに賛否両論あったのも事実です。



災害の様子を伝える遺構は、被災者の方にとっては思い出したくない記憶を呼び起こすものかもしれません。いらないという方もいるでしょう。
とはいえ、忘れがちな人間にとって、危険と恐怖を受け継がせてくれるものでもあります。



私は後世のために災害の遺構は残されるべきだと思います。
その為には、地域住民と行政で過去と未来をしっかりと話し合い、信頼関係を構築するところから始め、コミュニティーが主役となって実現されなければなりません。