ここ数週間の国内政治の話題は内閣改造ばかりでしたね。

原発を始めとしたエネルギー問題、集団的自衛権や普天間基地、尖閣等の安全保障問題、広島の土砂災害を始めとした災害対策、2014年度末には1100兆円を超える見通しの国の借金、長引く消費支出の下落などの景気対策など、政治が解決すべき課題が山積みです。
しかし、政策的な話よりも、政治家の人間ドラマが繰り広げられる人事や政局に関心がいってしまうのは、国民の興味を反映してなのか、マスコミの誘導なのか。

ともかく、本日2時には新閣僚名簿が発表されるようですが、はたして「適材適所」になっているのでしょうか。

適材適所と言っても意味が二つあります。
一つは、上記のような問題山積の日本を立て直すという、国民にとっての適材適所。これは、明確な目標に向かったしがらみのない人事です。
もう一つは、内閣総理大臣が自分の長期政権を考えた上での適材適所。つまり、当選回数や派閥の力学にまみれた、いわばしがらみ人事です。

もちろん国民のための政治をするには政権を安定させる必要があります。そのバランスが重要なのですが、残念ながら日本の閣僚人事の場合には後者の意味合いが強いのです。

以前も何度か書かせて頂いていますが、民間企業では考えられないような人選が、政治の世界ではまかり通ります。
例えば、財務大臣や外務大臣に専門的な知識があまりない方を選んだり(過去のブログはこちら)、環境大臣や法務大臣に経験がまったくない方を選んだり。そのような選び方が、「法務大臣は言葉を2つだけ知っていれば良いのです」(前政権の時の発言ですが)というような職責の重さを理解していない発言にも繋がってしまうのだと思います。
民間企業で言うと、システムのノウハウが全くない人をCIO(ITのトップ)にしたり、広報畑をずっと歩んできて、財務知識が無い人を、取締役財務本部長にするようなものです。

私は、政治家はゼネラリストで良いと思っていますが、それにしても経験などに裏打ちされる一定の専門知識は持っていないと駄目だと思います。そうでないと、大臣は完全に官僚の言いなりになってしまうでしょう。

民主党にしても自民党にしても、これまでの閣僚人事は、結局は派閥のことや、自分の政権を安定的に長生きさせることだけに目を奪われた選び方をしてしまい、国民のことはそっちのけ。本気で、この国を立て直したいと思っているなら、派閥より国民のことを考えて人選するべきです。

今日の閣僚人事は、そのような政治家としてのあるべき志が少しでも反映されたものになっていることを祈るばかりです。