私のテニスとの出会いは中学生のサマーキャンプでした。
その翌年に同じキャンプに参加したのですが、トーナメントで勝利し、人生初めての優勝トロフィーを手にすることが出来ました。



その時の憧れがビヨンボルグ、ジミーコナーズ、そしてジョンマッケンロー。
一番応援に熱が入ったのはウィンブルドン大会で、当時はTVにかじりついて観ていました。



そのウィンブルドンで今年は錦織選手がベスト16に入って健闘したのはとても嬉しいニュースだったのですが、車いすの部で国枝慎吾・ステファンウデ選手(男子ダブルス)と上地結衣・ジョーダンホワイリー選手(女子ダブルス)の日本男女が優勝したことは本当に快挙だと思います!



車いすテニスの歴史はまだ浅く、1976年にツーバウンドテニスとして南カリフォルニアで始まりました。日本では、1983年のホノルルマラソンに車いすで参加した松尾清美・現佐賀大准教授が現地で車いすテニスを体験し、帰国後に友人達と練習を始めたことから普及したと言われています。



国枝選手は元々野球少年だったそうですが、9歳の時、脊髄腫瘍で車いすの生活を送ることになりました。テニスとの出会いは11歳。近所にテニスコートがあったことがきっかけです。その後、高校1年のときに訪れたオランダで、車いすテニスでプロとして生計を立てている選手がいることを知り「自分もそうなりたい」と本格的にテニス選手への道へと進みます。



しかし、その道のりは決して順風満帆ではありませんでした。そんな時、オーストラリア人のメンタルトレーナー・アンクインとの出会いが人生を変えることになりました。
クインに「自分が世界一になれると思うか?」と聞かれ、「なりたい」と答えたら、「これからは、なりたいじゃなくて、世界一なんだと言い切る練習をしなさい」と指導されたそうです。その指導はコート内だけにとどまらず、一日中、食事の時も「オレは最強だ!」と叫びなさいと命じられました。半信半疑かつ恥ずかしい・・国枝選手は仕方なく声をはりあげたそうです。



これを続けているうち、弱気な自分が消え、さらにはプラス思考から生まれた良い連鎖のおかげで技術も向上。あっという間に、世界ランク一位の選手にまで成長し、国枝選手自身、こんなにも変わるのかと驚くほどだったそうです。


逆境に打ち克つ力と己を信じる力で人間の可能性が無限大に広がることを国枝選手や上地選手が教えてくれたように思えます。



是非、この素晴らしい成果を日本テニス界の成長に繋げて頂きたいと思います。
そして2020年のパラリンピックでもメダリストを一人でも多く生み、世界の障碍者に勇気を与えて頂きたいと思います。