2009年10月に千葉県松戸市で起こった女子大生強盗殺人事件の犯人として起訴された竪山被告人の二審判決が、8日に東京高裁でありました。一審の裁判員裁判では死刑判決が下されていましたが、二審では一転して無期懲役。



判決文全文はまだネット上にはアップされていないようですが、メディアの報道によると、死刑判決を破棄した理由として「殺害された被害者は1人で、犯行に計画性はない。同種事件で死刑がなかった過去の例からすると、死刑の選択がやむを得ないとは言えない」と述べているようです。



裁判員が重視した、被告人が強盗致傷などの前科で服役し、出所から3カ月足らずの間に、強盗や強姦事件を繰り返していた点については、「死刑選択の合理的、説得力のある理由とは言い難い」と判示しているとのこと。 



一般的な感覚からすると極めて違和感のある判決です。



裁判官が先例を重視するのは、法的安定性を害さないようにするためです。人を殴って全治1か月のけがをさせた場合、これまで懲役1年前後の判決が下されていたのが、ある日懲役2年の判決が下されたら不平等だし、予測可能性を害するということです。



ですが、全く同種な事案などあり得ませんし、犯罪に対する国民感情は変化しうるものです。また、裁判員も量刑を判断する前に、過去の死刑判決がどういう場合に下されたのかという「相場」の説明や法的安定性の説明は当然受けています。それでも熟慮の上で死刑という決断を行っているはずです。



そもそも、裁判員裁判が導入されたのは、国民の感覚や常識を判決に反映させることを一つの目的としていたはずです。裁判官裁判時代の先例にばかりとらわれてしまったのでは、何のために国民に負担を課す制度を導入したのかということになります。



仮に、今回の事件について最終的に無期懲役が妥当だという結論に至ったとしても、裁判員のとった結論と異なる以上、「前例」を理由にするのではなく、きちんと説明するのが裁判員、そして何よりも遺族への責任なのではないでしょうか。



二審の判決の文言をそのまま裁判所にも向ける必要があります。無期懲役刑選択の「合理的、説得力のある理由」の説明を最高裁には望みます。