私がシアトルで見つけた小さなコーヒー店を日本で始めて3年後の2000年に、イチロー選手はシアトル・マリナーズに移籍しました。


その前にも日本からの投手は数名メジャーリーグで活躍をしていましたが、バッターとしては日本人初。「大した活躍は期待できないだろうが、ものは試しだろう」という見方が殆どでした。


しかし、結果的には大活躍をし、ついに昨日は日米通算4000本安打という金字塔を打ち立ててしまったのです。


私はスポーツコメンテーターではありませんし、草野球しか経験したことがありませんので、残念ながらイチロー選手の技術力の素晴らしさを解説することは出来ません。

しかし、当時から思っていたのは「日本人選手がメジャーで活躍するには、野球の技術や体力だけでは無く、文化や生活慣習なども含めて取り込むことが出来るかどうかだ」と考えていました。

そういう意味では、広いアメリカの中でも、日本との繋がりが深い市やコミュニティーに本拠地があるチームを選ぶことが重要。


実はシアトルは日本に一番近いアメリカ本土の都市で、商工交流も厚く、寿司などの日本文化も当時からしっかりと根付いていました。

また、イチロー自身も必ずおにぎりを試合前に食べたり、ロール寿司「イチロール」を広めたり、人付き合いも限定するなど、アメリカの食や生活にダイレクトに飛び込むことはせず、徐々に日本とのフュージョンをはかっていきました。


そのようなことも考えながら取り組んでいったのが、これほどまでの大成功を収める事が出来た一つの要因ではないでしょうか。


因みに他の実績を見ても、アメリカ西海岸を中心に日本の文化が比較的受け入れられている都市のチームに入団した日本人選手と、そうではない選手では、差が出ているような気がします。

(LAドジャーズ野茂秀雄、LAエンゼルス・シアトルマリナーズ長谷川滋利、同マリナーズ佐々木主浩・岩隈久志、NYメッツ・SFジャイアンツ新庄剛志、NYヤンキーズ松井秀喜などは良い成績でしたし、ピッツバーグパイレーツ桑田真澄、ボストンレッドソックス松坂大輔、セントルイスカージナルズ田口壮や、ヒューストンアストロズに行った後の松井稼頭央は実力を発揮しきれませんでした)


最近「42」という黒人初のメジャーリーガーだったジャッキーロビンソンの映画を観ました。差別と文化、そして生活慣習の違いを乗り越えた究極の姿を現していますが、イチロー選手も野球の技術力や精神力以外にも様々なこと。全てを乗り越えての今回の大成功。日本人でも球技で活躍できることを証明してくれましたし、何よりも子供たちに大きな夢を与えてくれた、本当に偉大な選手です。

(42のワンシーンにもイチローが一瞬出ています。日本での公開は11月(予定))