教師や指導者の体罰が問題になっています。


私は体罰を絶対禁止としている米国(北部)で育ったため、中学・高校のサッカー部では一度も手をあげられたことがありません。

しかし、日本の大学に進んで体育会アメフト部に入った時は、多少の体罰を体験しました。


両方の環境の中で育ってきた私ですが、一概に体罰を全否定する気持ちは持ちませんでした。「意味のある体罰と、悪い体罰がある」と感じていたからです。


しかし、その線引きは難しく、指導者が精神的に未熟だと、悪い体罰がエスカレートする傾向が強いとも思っていました。


そして特に子供を授かってからは、何が正解なのか、このテーマについて考える機会が増えました。


しかし、シンガポールに住んでいたころ、その答えが見つかったような気がしました。


それは学校を訪問して教育現場を見せて頂いた時のことです。


ひとりの教師から生徒に対する「鞭打ち」が許されていると聞いたのです。


それだけを聞くと「ひどい国だ」と思うかもしれませんが、実は「盗みをしたとき、人を殴ったとき、○○をしたとき・・・」と細かいルールが定められています。


しかも、その場で教師が罰を執行することは許されず、委員によるしっかりとした調査や話し合い(両親も含む)などのステップが踏まれてから、実行に移されるのです。


教師や監督・コーチも人間です。カーッとなって手をあげたくなることもあるでしょう。


それをその場で即行してしまうと「感情的に怒った上での暴力」となってしまいます。


いったん手を下げて深呼吸をし、「この子の成長の為にはどうするのが良いのか」と考える時間を取れば、「暴力」が答えになることは殆ど無いと思います。


それでも多少の体罰が必要不可欠と判断した場合は、上記のようなプロセスを経て実行すれば、全く意味合いが変わってくるのではないでしょうか。つまり、同じ行為でも「冷静に判断した上で、叱る為の体罰」になるのです。


また、対象の生徒自身も、何故罰を受けるのか、じっくり考える時間ができます。


私は日本でも鞭打ちを導入するべきだと言っているわけではありません(勿論それはあり得ません)。


しかし、最近の日本ではマスメディアが毎日発信する情報によって「世論」がつくり出され、国民感情も、「右から左、左から右」に大きく振れる傾向が非常に強いと感じています。今回の話しも度が行き過ぎると、逆に指導者が委縮して、生徒や選手の成長の可能性が奪われる事態にもなりえます。


橋下市長による入試の休止問題を見ても分かると思いますが、なんでもかんでも即100%禁止にしてしまうのが本質的な解決策に繋がることはありません。


因みに私は、子供が本当に悪い事をした時は、よく話をしてから手の甲を二本の指でピシャッとやるようにしています(年に1、2回あるかないかですが)。


是非皆さんにも、この問題についてじっくり考えてもらいたいと思います。お子さんがいる方は、お子さんも交えて、一緒にルールを作るのも良いかもしれません。