『 今週のカレンダー 』
4月 25日 (木) ~ 「 大安の日 」 です。
『 今週の昌子さんの出張先 』
4月 22日 (月)
青森県 ~ 弘前市民会館
4月 23日 (火)
青森県 ~ 八戸市公会堂
4月 24日 (水)
岩手県 ~ 盛岡市民文化ホール 大ホール
( お仕事の内容 )
4月22日~24日の3日間は すべて
『 森昌子 祝 還暦コンサート 』
~ 爆笑!コントで綴る昭和歌謡パート3 ~
『 今週の記念日 』
4月 21日 (日) ~ 今日は 1984年にシングル盤
『 寒椿 』 の曲が発売された日です。
作詞~ 中山大三郎 先生、 作曲~ 船村 徹 先生
聴きくらべてみませんか?
最初は 1980年発売のアルバム『旅立ち』より (昌子さん21歳)
終わりのサビの歌詞が
「もう一度 あなたに逢いたいの♪」 (ワン・スリーコーラス目)
「お願い あなたに逢いたいの♪」 (ツーコーラス目)
つぎに 今回発売のシングル・カット盤より (昌子さん25歳)
終わりのサビの歌詞が
「お願い あなたに逢いたいの♪」 (全コーラスともに)
『 今週の話題曲 』
先週に引き続きまして
美空ひばりさんが駆け抜けられた
『 昭和の時代と歌謡曲 』(パート2)
今週は ひばりさん21歳(昭和33年)から52歳(平成元年)まで
をお届けいたします。
ひばりさんは 昭和32年に20歳の年齢を迎えましたが
8歳に初舞台そして12歳で映画主演のキャリアを積み重ねて
いたため 芸能界ではすでに黄金期を迎えていました。
昭和33年には『ひばりプロダクション』を設立して
東映映画との専属契約をむすび 映画女優としても
昭和38年まで150本を超える主演映画に出演し、大活躍されました。
美空ひばりさん (昭和33年~昭和38年)
~荒馬「船村徹先生」 vs 名騎手「ひばりさん」~
昭和31年に『波止場だよ、お父つぁん』の作品で衝撃をうけた
船村徹先生は 昭和35年には『哀愁波止場』を
そして昭和37年 東映映画(主題歌も同名)に主演された
ひばりさんへ『ひばりの佐渡情話』の曲も書かれました。
「哀愁波止場」の曲では 「第2回日本レコード大賞・歌唱賞」
を受賞されました。(当時は最優秀歌唱賞はありませんでした)
「ひばりの佐渡情話」
この曲は新潟県佐渡島の「ご当地ソング」としても有名です。
~そのほかの主な曲~
① 『花笠道中』 ( 昭和33年 )
② 『哀愁出船』 ( 昭和38年 )
昌子さんの恩師「遠藤実先生」の作品で紅白出場曲です。
美空ひばりさん (昭和39年~昭和45年)
~映画から舞台へ古賀作品との出会い~
昭和39年には東京五輪が開催されることから
高度経済成長の波にのって、都心に高速道路も整備されていく中
ひばりさん母娘は二人三脚で 「舞台を活動拠点」に変えて
新宿コマ劇場、御園座、梅田コマ劇場での「座長公演」に力を
注いでいきました。
① 『 柔 』 ( 昭和39年 )
東京五輪で柔道が正式競技に採用されたこともあって
古賀政男先生が作曲されたこの曲は180万枚を超える
大ヒットとなり 翌年の「第7回日本レコード大賞」を受賞しました。
② 『悲しい酒』 ( 昭和41年 ひばりさん29歳 )
前作品と同じく 古賀先生が作曲され、またしても
145万枚のミリオンセラー曲となり ひばりさんの代表曲の
うちの1曲となりました。
ひばりさんのセリフ入りの歌唱では、
しずかに涙がひばりさんのほおを伝わるシーン
が感動的です。
③ 『芸道一代』 ( 昭和42年 )
この年6月大ヒットの『真赤な太陽』に続いて 9月に発売されました。
『芸の道に生きる女性の心情を歌った曲』 として
ひばりさんの母喜美枝さんが大変気に入っている曲だそうです。
作詞~西條八十先生、作曲~山本丈晴先生(山本富士子さんの夫)
④ 『人生一路』 ( 昭和45年 )
この曲の作曲者は 弟さん かとう哲也さんです。
ひばりさんも1988年の東京ドーム『不死鳥コンサート』など
多くのライブやテレビ番組で好んで歌われています。
美空ひばりさん (昭和47年~昭和61年)
~昌子さんとの出会い、様々なアーティストとの
出会いで新たな「ひばり歌謡」が誕生~
昭和47年7月1日に歌手デビューされた昌子さんに対して
ひばりさんは真っ先に 『ひばりの再来』を確信され
一緒に出演できる番組を関係者に働きかけました。
『四つの太陽』(昭和50年1月2日日本テレビ放送)
『5周年記念・演歌に涙と青春を』(昭和51年3月3日テレビ朝日放送)
番組出演だけでなく、ご自宅の『ひばり御殿』での口伝えによる
個人レッスンも惜しみなく指導されました。
① 『ある女の詩(うた)』 ( 昭和47年 )
作詞~藤田まさと 先生 (昌子さんの『今日も笑顔でこんにちは』など)
作曲~井上かつお 先生
この曲は紅白出場曲でしたが この年をもって最後の歌手出場
となってしまい、翌年(昭和48年)に初出場の昌子さんが
入れ替わる形となりました。
② 『おまえに惚れた』 ( 昭和55年 )
作詞~たかたかし先生 ( 昌子さんの『恋は女の命の華よ』 )
作曲~徳久広司 先生 ( 歌手として『北へ帰ろう』のヒット曲 )
③ 『裏町酒場』 ( 昭和57年 )
作詞~さいとう大三 先生 ( 昌子さんの『 北寒港 』 )
作曲~竜 鉄也 さん( 歌手として『奥飛騨慕情』が大ヒット )
この曲は ひばりさんの45歳の誕生日(5月29日)に発売されました。
④ 『 しのぶ 』 ( 昭和60年 ひばりさん48歳 )
作詞~吉岡 治 先生
作曲~市川昭介 先生(昌子さんの『なみだの桟橋』『ためいき橋』など)
⑤ 『 愛燦燦 』 ( 昭和61年 )
作詞・作曲~小椋 佳さん(シンガーソングライター)
この曲もひばりさんの誕生日に発売されました。
当初は「家族愛」をテーマに『味の素』のCMソングで歌われましたが
バックで流れる声質ですぐにひばりさんと解かってしまいました。
美空ひばりさん (昭和62年~平成元年)
~渾身の力を 限りある歌声にかけて~
ひばりさんは昭和60年頃から足腰に痛みを感じていましたが
昭和62年春の福岡公演の際 極度の体調不良で入院されました。
① 『みだれ髪』 ( 昭和62年 )
作詞~星野哲郎 先生、 作曲~船村 徹 先生
『ひばり復活』をアピールすることも兼ねて
ひばりさんが公開レコーディングとし 「一発録り」
(オーケストラも含めて)で終えたこの曲は最後のシングル盤となりました。
② 『川の流れのように』 ( 平成元年 )
作詞~秋元 康 先生、 作曲~見岳 章 先生
この曲は 昭和63年秋につくられたアルバムに収録された1曲
でしたがひばりさんの強い要望でシングルカットされたそうです。
発売は平成元年1月11日となりました。
前年(昭和63年)4月11日に行なわれました
『不死鳥コンサート』(東京ドーム)以後は体調が悪化していく一方でした。
ひばりさんは平成元年2月7日の福岡県北九州市の小倉公演を最後に
車や新幹線での移動が無理なほど その身体は衰弱していたそうです。
そして 平成元年6月24日午前0時28分
一羽のひばりは天空へ向け翔び立っていきました。
その当時の様子などを記した昌子さんの言葉をご紹介します。
(森昌子著『それはじんせい・・・』主婦と生活社より一部抜粋)
『 ・・・ひばりさんが息を引き取ったと連絡を受けたのは明け方でした。
その前日まで、病室で長くお話をしていたのに。
それからまる1日、私はひとり枕元でひばりさんのご遺体に寄り添って
いました。 ・・・お顔を拭いたり口紅を引き直したり、お線香の火が
途絶えないよう、一晩中ずっと。 』
『今もステージでひばりさんの楽曲を歌わせていただいていますが
そんなとき、必ずひばりさんの顔が見えるんです。
「うん、うん、大丈夫よ」って微笑んでいます。 』
最後に 昌子さんとひばりさんとの『想い出の映像』
で長い長い「昭和歌謡」の幕をおろさせていただきます。
5週間にわたり どうも ありがとうございました。
「マチャコ」と「お姉ちゃま」が『四つの太陽』の番組で共演