小倉百人一首の本歌取り | 手作り酵素で妻の癌を治す

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一から順に見直し、最後に本歌取り(本歌の一部を取って新たな歌を詠み、本歌を連想させて歌にふくらみをもたせる技法)をして、今の時代の短歌を作ってみます。
 
本歌取り その89
その89 玉のを 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする 
 
式子内親王(しょくしないしんのう:1149~1201)後白河天皇の第三皇女 賀茂の斎院を務めたのち出家します。 
法名 承如法(しょうにょほう)。 
世の混乱と病身の中で歌に慰めを求め、勅撰集入集歌も一四六首に及ぶ当代一流の代表的歌人です。
 
「出典」 百首の歌の中に 忍恋を 新古今集・恋一
 
「歌意」 私の命よ、なくなってしまうものならなくなってしまっておくれ。 
生きながらえていくなら、心にひめている力が弱ってしまうかもしれない、それでは人目について困るから。 
 
「主旨」 人目を忍ぶ恋にたえ、死にたいほどのつらい心情。
 
「鑑賞」 「玉のをよ」 という和歌的表現を受けて、「たえなばたえね」 と、いちずな強さで訴えるように詠いあげています。 
浪漫的な歌人といわれる作者が、思いがけずはげしい口調で表現し、百首の歌の忍ぶ恋の題詠とは言え、病身の内親王が、女性としての胸に積みかさねてきた思いの重圧を、一息にとりのぞくように詠出しています。
 
玉のを: 命そのものを指す。
絶えなば絶えね: 絶えるならそれでもいい。
ながらへば: 「ば」 は仮定を示し、このまま生きながらえるのならの意。
忍ぶる: こらえるの意。
よわりもぞする: 恋を秘めている気持ちを維持できない。
 
本歌取り
 
山歩きへの、なげき節
 
「玉のをよ 歯痒い老いの 悔しさよ 山道耐えて やれ腰伸ばす」 
 
良寛さんの老いてからの苦労が、やっと味わえるようになりました。
 
良寛さんの一首
「ゆくりなく ひと日ひと日を 送りつつ 七十路まりに なりにけらしも: 何気なくひと日ひと日を送っていたが、七十歳あまりになってしまったことだ」
 
良寛さんは六十九さいの頃、山の中腹にある草庵での一人暮らしをやめました。