一から順に見直し、最後に本歌取り(本歌の一部を取って新たな歌を詠み、本歌を連想させて歌にふくらみをもたせる技法)をして、今の時代の短歌を作ってみます。
本歌取り その87
その87 村雨(むらさめ)の 露もまだひぬ 真木の葉に 霧たちのぼる 秋の夕ぐれ
寂連法師(じゃくれんほうし:生年未詳~1202)俗名は藤原定長。幼少に藤原俊成(としなり)の養子となったが、俊成に子(定家)が生まれたので、三十余歳で出家しました。
「新古今集」 の撰者の一人に選ばれましたが、完成をまたずに没しました。
勅撰集入集歌は、117首になります。
「出典」 五十首の歌奉りし時 新古今集・秋下
「歌意」 通り雨(むらさめ)のしずくも、まだ乾ききらない杉やひのきなどの葉のあたりに霧の立ちのぼっている寂静(じゃくじょう:もの静かなこと)とした秋の夕暮れであることよ。
「主旨」 村雨のあとに霧の立ちのぼる寂静とした秋の夕暮れの情景。
「鑑賞」 秋の夕暮れの雨滴(うてき:露)の一粒一粒が、山林の精気(生き生きとした気力)のように、真木(まき:杉やひの木)の一葉一葉にとどまっている。
とどまりきらずに、しずくしては、さらに下葉をぬらして、深山全体が、梢から下草の地面までしっとりとぬれる。
そして、水をふくんだ山のどこからともなく霧が立ちのぼって 「まきの葉」 を包んでゆくのです。
静けさの中に、おかしがたい何者の力とも知れぬ大自然の精気が感じられます。
村雨:秋から冬にかけて一時的に激しく降る雨。にわか雨
まだひぬ:まだ乾かない。
真木:杉やひのきなどの垂直に伸びる木の総称。
霧たちのぼる:「霧」は秋の夕べに立つ。
秋の夕ぐれ:物悲しさの余韻が残る体言止めの表現
本歌取り
村雨の後の早朝の散歩。
「村雨の 濡れた山道 葉の滴 鳥がさえずる 石段長し」
最近186段の石段は、2,3回休んでいます。