古希綴り 下書き その41 | 手作り酵素で妻の癌を治す

手作り酵素で妻の癌を治す

     ~酵素のある暮らし~

少年サッカー

 

20004月に職場を移ると、土・日は仕事から解放されのんびりできました。 半年ほど息子(小3)のサッカーを時々見ていると、お手伝いの声をかけられます。 

そして、息子が小学4年生になる頃には、サッカー審判4級の資格をとり、休日はほとんど練習に参加していました。

 

「花も散り サッカー資格の 走りかな」 季語 花:晩春

 

資格は簡単に取れましたが、いざ審判をすると体力的にダメかな? と、感じました。 

 

サッカー練習の1間前には、前の公園でゴムボールのキャッチボールをし、ピンポン玉を投げて木のバットで打たせて二人で遊びます。 

また、サッカーが休みの時は、しあわせの村のプールや芝グランドでサッカーやキャッチボールなどをして遊びました。



 

練習試合にはお母さんたちも参加して、勝っても負けても大きな声で楽しそうに応援をしてくれます。 

そんなサッカー友達や新しい職場のメンバーたちと、我が家での宴会も多くなりました。

 

「手作りの 料理の〆は アイスかな」 季語 アイスクリーム 三夏

 

前日から準備をして、当日朝一番で明石の 「魚の棚」 で生きた魚などを買ってきます。 

2間ほどで準備をして、13時から18時頃までの宴会です。 

最後のジョブで、1年間毎週6人分のうたげ料理作りの、たまものでした。

 

サッカーでの一番の思い出は、夏休みに息子と友達2人を連れて田舎での34日の4人での合宿です。 

6時~10時頃までの朝練の後は、魚釣りや海で泳いだりして遊び、夕方5時から2間ほど夕練をして終えます。 

夜はみんな10前には、寝ていました。

 

そんな息子との楽しい遊びも、小学校の卒業式とともに終わります。

 

「あらたまの 四年も吾子と サッカーし 夢見た遊び おもいで深し」

 

あらたまの 年・月・日 の枕詞

 

休みはいつも一緒に遊び、職場を移ってほんとうに、しあわせな4年間でした。