【御礼】第121回「読書のすすめの落語のすすめ」
12/13 第121回「読書のすすめの落語のすすめ」に足をお運びいただきました皆様、誠にありがとうございました。
江戸川区 篠崎「読書のすすめ」での毎月一回の落語会「読書のすすめの落語のすすめ」、
三遊亭神楽師匠と兄弟子の三遊亭全楽師匠をお招きしての二人会、10年を越えての今回、
実は不思議なことがありました。
それはまた後に綴ります。
三遊亭神楽師匠の一席は「紙入れ」、
溜め込んでいる胸の憂いを、大笑いしてすっかり吐き出しました。
紙入れとは財布のことで、若くて様子のいい新吉が、お世話になっている女将さんの旦那の留守の時の誘いを断りきれず、否応なしに間男にさせられて、突然旦那が帰ってきて、旦那も新吉のだと知っている紙入れを、慌てていて忘れてきて…という艶っぽい笑い噺、いつの時代もどこかで語り継がれてきた艶笑落語。
三遊亭全楽師匠の一席「井戸の茶碗」で、
自分の中の幾つもの仮面が、感動ですっかり震い落とされたのを感じました。
屑(くず)屋が、あるところの浪人から古い仏像を買い付け、あるお武家さんにそれを売ると、その仏像には50両が埋め込まれていて、お武家さんは“私が買ったのは仏像で、50両は私のものではない。その浪人に返してくれ”と。
屑(くず)屋は、仏像を売った浪人に50両を持っていくと、“先祖が困窮した時のために仏像に埋め込んでくれた50両、その思いを売ってしまった私には受け取る資格がない”と、頑なに受け取らない。
そんな二人の侍の意地の張り合いで右往左往する屑屋。
武士道精神の“名こそ惜しけれ”のぶつかり合い。
侍は、功を上げて家名を高めることと、忠義に生き忠義に死ぬことで名を損なうことなく、欲得に目が眩み命や金や物に執着するのは“恥”と、武士としての名を汚すことを最も嫌った。
命に代えても、自分を折らない、自分を曲げない、自分を偽らない、
私利私欲を滅して、“名こそ惜しけれ”に殉じる武士道精神。
「井戸の茶碗」は、そんな二人の侍の意地の張り合いが延々と続いて…
そして、その朝の不思議なことがあったのは…
「落語のすすめ」当日の明け方、目覚めた頭にふと、“赤穂浪士討ち入り”と降ってきました。
調べてみると、翌日の12月14日が吉良邸へ赤穂浪士が討ち入った日。
この一年間、赤穂浪士の討ち入りは、一度も頭をよぎったことがなかったのに、何故その時に限って…
不思議さを思い、落語会の冒頭の挨拶と私からの話を、前もって考えていたのと違う話、赤穂浪士討ち入りの話にしました。
そして、おすすめ本「人間ざかりは百五歳」の紹介と。
その、赤穂浪士討ち入りの話とは、
私甲州さとみの5年前に書いたブログで、内容は8年前に泉岳寺 赤穂浪士四十七士の墓参した時の話です。
そのブログをここに張り付けた長い文章になりますので、ぜひお読みください。
「剣刃の上を歩く」
おすすめさせていただいた本は、後世に遺すべき本を読書のすすめがプロデュースして復刊したドクスメレーベル 第7弾 「人間ざかりは百五歳」 大西良慶・平櫛田中著。44年前の本です。
「人間ざかりは百五歳」
大西良慶師は、明治八年生まれで、百八歳で亡くなられ、清水寺の住職をされた方で、
平櫛田中師は、明治五年生まれで百七歳で亡くなられ、仏師高村光雲に師事し、岡倉天心に認められた彫刻家です。
士農工商の身分制度が廃止され、近代化へ走り出す、世の中の価値観がガラリと変わった明治維新後、その御一新の時代に、西郷隆盛の気風が漂う時代に、生を受け一世紀を生きた両師、
昨日を引きずり明日を憂えることなく、“やっぱり「いま」が最高やな”と大西師、良慶節と呼ばれた説法に多くの人々が耳を傾け、
“わしがやらねば誰がやる”、“七十、八十は鼻垂れ小僧、男ざかりは百から百から、わしらの人生これからこれから”の気概の平櫛師、
混沌とした社会の中で、老いるほどに自在になって、突き抜けて流れていく両師の人生。
現代の私たちも、東日本大震災を経験して、さらにさらにコロナ禍に翻弄され、大きな変化の中ですっかり心が萎縮してしまっている。
いろいろな制限の中にあっても、心は自在に目の前を突き抜けてゆく、そんな気概が「人間ざかりは百五歳」に感応できるのではないでしょうか。
落語会の朝に私に降ってきた赤穂浪士四十七士の魂、
赤穂浪士四十七士のように、自分の命の使い道を見極めて、武士道でいう大きな目的のために命を使う「大死」の、剣刃(つるぎ)の上を歩くような、
ご紹介させていただいた「人間ざかりは百五歳から」の、“私がやらねば誰がやる”の精神で、目の前に体当たり、
全楽師匠の「井戸の茶碗」の、
命に代えても、自分を折らない、自分を曲げない、自分を偽らない、
私利私欲を少なくして、“名こそ惜しけれ”を大事にする侍の精神、
それらの矜持、武士道精神は、私たち現代の日本人の中にも、微弱な電流となって流れています。
一年の締めくくりの今回、少なからずも、皆様とこうしたことを共感共有できたのではないでしょうか。
武士道精神、私の中の微弱な電流が震えました。
2023年今年もありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願い致します。
よい年をお迎えくださいませ。
次回2024年の「読書のすすめの落語のすすめ」は、リアル会場とオンラインZoomで、
1月10日(水)19:30~
2月7日(水)29:30~
ご参加お待ちしております。
長い文章をお読みいいただき、ありがとうございました🙇
12/27 酔いどれ元編集長の仏教談義会場&Zoom(アーカイブ版可)
読書のすすめで毎月一回開かれます「酔いどれ元編集長の仏教談義」は、
佼成出版社 吉川元編集長に大乗仏教の代表的経典『法華経』を読み解いていただいています。
『法華経』は、お釈迦様が悟られたこの世界の真理を物語や喩え話にしたもので、最後に説いた教えと伝えられいます。
「法華経」 全二十八章、
第十六章前半までは、悟りを開いた人間 釈尊が、人の本当の生き方を説いている内容で、
第十六章後半以降は、仏 釈迦如来がこの世界の真理を説いている内容です。
六世紀の飛鳥時代、日本に大乗仏教が伝来した中に「法華経」がありました。
聖徳太子は、「法華経」「勝鬘経」「維摩経」の三経の注釈書『三経義疏(ぎしょ)』を著しました。
日本仏教の始まりに、「法華経」があったんですね。
また、鎌倉時代初期に最澄によって開かれた比叡山「天台宗」の根本には「法華経」がありました。
“すべての人が救われる”という大乗仏教の経典「法華経」を、
浄土宗開祖の法然上人、浄土真宗開祖の親鸞聖人、曹洞宗開祖の道元禅師、臨済宗開祖の栄西禅師、時宗開祖の一遍上人、日蓮宗開祖の日蓮聖人、
日本仏教の祖師方は比叡山で学んだのですね。
曹洞宗 道元禅師は、「法華経」の二十八章にわたる物語や喩え話に連なる仏教の深遠な教えに触れて涙したと伝えられています。
「法華経」は、諸経の王と称され、比叡山「天台宗」は、日本仏教の母山と呼ばれています。
吉川元編集長がひもとき語られる「法華経」は、自らの学びと体験で磨いてこられた仏心そのもので、
私たちの心の我執や偏見など幾重ものバイアスを通り抜けて、私たちにもある仏心を照らします。
『酔いどれ元編集長の仏教談義🎶』リアル会場&オンラインZoom(アーカイブ版可)
日時:2023年12月27日(水)
19:30~21:00
場所:読書のすすめ 店内
参加費:お布施(お気持ちですが、佼成出版社の本を「読書のすすめ」よりお買い上げ下さいますようお願いしております)
🌟仏教談義(Zoom orアーカイブ版)参加ご希望の方は、
「読書のすすめ」吉川さんのおすすめ本のページ↓
から、一冊よりご購入お願い致します。
その際に、仏教談義参加希望とお書き添えください。
追って、Zoomアドレスをお送り致します。
お問い合わせは「読書のすすめ」↓
03ー5666ー0969
11/25オンライン京都「逆のものさし人参畑塾」in大阪ありがとうございました
過日11/25、京都「逆のものさし人参畑塾」in大阪を、Zoomで開催させていただきました。
Zoomでの大阪「逆のものさし人参畑塾」二回目は、『逆のものさし思考』第二講「非真面目のススメ」を、皆さんとディスカッションしました。
『逆のものさし思考』
『逆のものさし思考』目次
一、一元論で世の中を見る
二、非真面目のススメ
三、無学でいなさい
四、ファンになるな プレイヤーになれ
五、縦糸の読書をしよう
六、非効率を愛せよ
七、そもそも論を考える
八、NWB.SAL.ABI 三つの法則
九、答えではなく問いを見つける
十、自力と他力
十一、自(みずか)らではなく自(おの)ずから
「非真面目のススメ」とは…
真面目な人は、常識や普通など、思い込みや決めつけに頑なな人。
非真面目な人は、真面目に非ずで、常識や普通など、思い込みや決めつけをせず、逆から見たり、本当にそうかな?と、一度立ち止まって自分の頭で考える人。
決めつけや思い込みは、可能性を狭めてしまう。
常識や普通の壁の内側では、未知なる外界が見えない。
また、二つに分けて差別することを二元論といい、
反対側を見て、両方を知り、表裏一体と見ることを一元論という。
片方に偏らず、両方を含みもった、それが一元論で中道。
「非ずのこころ」 形山睡峰 著
をひもとくと、
“是に非(あら)ず、非(ひ)に非(あら)ず”、
是非の二つに分かれる以前の心が“非ずのこころ”、
分けない偏らない非真面目に通ずる。
誰しもの存在の中心にあるという“非ずのこころ”。
例えて、マニュアル車のギアチェンジの中立の位置“ニュートラル”が、“非ずのこころ”だと。
ギアをローに入れるのも、バックするのも、加速するのにも、中立の位置のニュートラルに一度戻してから、そこからチェンジする。
二つに分かれる以前の心、色を描く前の白紙のキャンバス、
人は生きてゆく中で、白紙のキャンバスに、色を塗り込めてゆく。
欲や執着の煩悩の色で描かれた世界。
その元にある白紙、その“非ずのこころ”、“非真面目”に立ち返えりながら進んで行こう。
一度逆から考えて、一度否定してみて、決めつけ思い込みを外し、
“こうすれば、ああなる”の予定調和の、その科学的、計算づくの、合理的、効率的なループの外の、広大無辺な世界に飛び込もう。
まずは、私たちの心は、欲や執着の煩悩で塗り込められたキャンバスであることに気づこう。
自分が真面目な人間であることを自覚しよう。
誰しもの存在の中心にある“非ずのこころ”、その白紙の心に気がつくためには、
読書と勉強で、この世界の真理を学び、
実践と体験で、この世界の真理を体感し、
慈悲と布施(自分の持てる力をすべて差し出す)で、自己を超越し真理と一体に。
その時々の一心不乱こそが、分けない、偏らない、色をつけない、“非ずのこころ”、そして“非真面目”ということ。
真面目を振り切り、二元論を超越した、非真面目なある方の話も、大いにさせていただきました。
さぁ、私たちも、非真面目たれ!!
次回、京都「逆のものさし人参畑塾」in大阪は、
Zoomにて、
2024年1月27日(土)です。
京都「逆のものさし道」in大阪の前の時間で。
「逆のものさし道」
「逆のものさし人参畑塾」blog
「逆のものさし人参畑塾」とは、
時代が変わっても変わらない人間の生き方を、歴史・先人から学ぶ“縦糸の読書”を通して、本質を学び、今に活かし、後世へ伝えていく勉強会です。
明治初め福岡の女医 高場 乱(たかば おさむ)が、薬用人参畑の中で始めた塾「興志塾」(通称人参畑塾)で、西郷隆盛の精神を継ぐ頭山満ら玄洋社を育てました。
私利私欲に偏らず仁を尽す「殺身成仁」、何かに誰かにぶら下がらない「天下一人を以て興れ」、その精神を伝えていきたい。
「逆のものさし人参畑塾」ブログ
「逆のものさし人参畑塾」のもとには、「逆のものさし道」での学びがあります。
「逆のものさし道」とは、
縦糸の読書を師とし、実践と対話を通して、世間の常識や大勢の空気に流されない確かなモノサシを身につけるための勉強会。
読書・実践・対話の中で、“本当のことは何か”に目を向け、またその“本当”から自分自身を問う、それを繰り返して進む「道」です。
「逆のものさし人参畑塾」は、その「逆のものさし道」での学びを、方法や知識としてではなく、
“本当”のモノサシを身につけ、物事を見る目が変わり、深い静けさと湧き上がる躍動を湛えた心を養うことを目指しています。
「逆のものさし道」
12/16 郡山「逆のものさし人参畑塾」
郡山「逆のものさし人参畑塾」
日時:12月16日(土)
時間:17:00~18:30
場所:郡山勤労福祉会館
テーマ:一元論で世の中を見る
参加費:千縁
「逆のものさし人参畑塾」とは、
時代が変わっても変わらない人間の生き方を、歴史・先人から学ぶ“縦糸の読書”を通して、本質を学び、今に活かし、後世へ伝えていく勉強会です。
明治初め福岡の女医 高場 乱(たかば おさむ)が、薬用人参畑の中で始めた塾「興志塾」(通称人参畑塾)で、西郷隆盛の精神を継ぐ頭山満ら玄洋社を育てました。
私利私欲に偏らず仁を尽す「殺身成仁」、何かに誰かにぶら下がらない「天下一人を以て興れ」、その精神を伝えていきたい。
「逆のものさし人参畑塾」ブログ
「逆のものさし人参畑塾」のもとには、「逆のものさし道」での学びがあります。
「逆のものさし道」とは、
縦糸の読書を師とし、実践と対話を通して、世間の常識や大勢の空気に流されない確かなモノサシを身につけるための勉強会。
読書・実践・対話の中で、“本当のことは何か”に目を向け、またその“本当”から自分自身を問う、それを繰り返して進む「道」です。
「逆のものさし人参畑塾」は、その「逆のものさし道」での学びを、方法や知識としてではなく、
“本当”のモノサシを身につけ、物事を見る目が変わり、深い静けさと湧き上がる躍動を湛えた心を養うことを目指しています。
郡山「逆のものさし人参畑塾」
日時:12月16日(土)
時間:17:00~18:30
場所:郡山勤労福祉会館
テーマ:一元論で世の中を見る
参加費:千縁
『逆のものさし思考』目次
一、一元論で世の中を見る
二、非真面目のススメ
三、無学でいなさい
四、ファンになるな プレイヤーになれ
五、縦糸の読書をしよう
六、非効率を愛せよ
七、そもそも論を考える
八、NWB.SAL.ABI 三つの法則
九、答えではなく問いを見つける
十、自力と他力
十一、自(みずか)らではなく自(おの)ずから
『逆のものさし思考』をお持ちではない方でも大丈夫、ご参加お待ちしております。
『逆のものさし思考』
12/9 形山睡峰師 講演会 No23
二ヶ月に一度、「読書のすすめ」において、禅僧 形山睡峰師に
『善の研究』西田幾多郎著 を読み解く禅談をいただいています。
【『善の研究』】
真の実在とは何か、善とは何か、いかに生きるべきか、真の宗教心とは。
人間存在に関する根本の問いを考え抜いた西田幾多郎の、東洋の伝統を踏まえ西洋思考の枠組みそのものを問題にした「善の研究」は、今日においても日本哲学の座標軸であり続ける。
【形山睡峰師講演会 第23回】
日時:2023年12月9日(土)
14:00~16:00
場所:読書のすすめ
参加費:会員価格 3000円
一般価格 5000円
【形山睡峰師のご著書】
『禅と哲学のあいだ』
『非ずのこころ』
『和するこころ』
他も、ご著書のある形山先生についてご紹介させていただきます。
山岡鉄舟の住居跡に建てられた東京中野高歩院で、大森曹玄老師の下で出家得度、曹玄老師に法を受け継ぎました。曹玄老師は、鉄舟を深く敬愛し、寺内に「鉄舟会禅道場」を建立して、形山先生もそこで修行され、日々に鉄舟の心に学べと教えられ、また鉄舟の書を臨書するのが、日々の修行だったそうです。
形山先生は現在、茨城県かすみがうら市の無相庵・菩提禅堂で、坐禅の修行道場をされ、各地で禅会も開かれています。
【『善の研究』について】
「哲学の動機は人生の悲哀でなければならない」と西田は語っています。
人生の悲哀を見つめ、そのもとの悲哀に満ちた世界を乗り超える思索を深めていく、
真の実在とは何か、善とは何か、いかに生きるべきか、真の宗教心とは、
西田が探究した、人間存在の根本を問う哲学。
【形山睡峰師の禅談】
私たちが、この世界の真理に目を開いていくために、
形山睡峰師が修行の中で、学び問いながら培われ開かれてきた目による「善の研究」の読み解きで、
その灯りで、私たちの現実世界を、真の実在を浮かび上がらせて。
※今回からのご参加も大歓迎です。直接お話を聞いて質問もできる貴重な機会になります。
「読書のすすめ」にお申し込みください。
03ー5666ー0969
【形山睡峰師講演会】
日時:2023年12月9日(土)
14:00~16:00
テーマ:「禅と哲学の〝まえ〟第23回目」
会場: 読書のすすめ店内奥
〒133-0061
東京都江戸川区篠崎町1ー7ー5
<プログラム>※予定
14:00~15:30 形山睡峰師講演
15:30~16:00 形山睡峰師への質問コーナー
【参加費】
会員価格 3000円
一般価格 5000円
【会員価格の対象の方】
・逆のものさし講聴講生
・たまご会員にお申込の方
・成幸読書会員
・心学商売繁盛塾 塾生
・NPO法人読書普及協会 会員
・前回まで、1回でもご参加いただいてる方
※参加費は、会場にて直接お支払ください。
【形山睡峰師 プロフィール】
昭和24年、岡山県柵原町(現美咲町)生れ。
大学卒業後、東京中野高歩院住職・大森曹玄老師の下で出家得度、曹玄老師に嗣法(しほう、法を受け継ぐ)の後、各所で禅会を開催。昭和63年、茨城県出島村(現かすみがうら市)に菩提禅堂が建立され、堂主に就任。平成19年同市宍倉に無相庵を開創。
【参考図書】
「善とは何か」
「実在とは何か」