NO.3122 福岡市中心部から博多港沿いを運行していた貨物線、「博多臨港線」廃線跡探訪(前編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 JR九州鹿児島線の千早操車場から、上の画像にあります福岡貨物ターミナル駅まで、「博多臨港線」が存在しておりまして、多くの貨物列車がこの区間を運行する姿が見られております。

 この博多臨港線は、鹿児島線の貨物支線となっておりまして、管轄はJR貨物となっておりますが、この路線からは最も運行されている区間としまして東京貨物ターミナル駅まで運行されておりますし、最も遠い区間としまして北海道の札幌貨物ターミナル駅までも運行されております。
 
 また、九州内でも千早操車場で折り返しまして、佐賀市の鍋島駅、熊本市の熊本貨物駅、鹿児島市の鹿児島貨物ターミナル駅などへも運行されておりまして、まさに福岡の貨物列車の拠点としての姿が見られております。
 
 この「博多臨港線」のメイン区間の一つ、多々良川橋梁です。特に以下画像の福岡貨物ターミナル行きの列車でしたら、長~い編成の列車を詳しく収める事もできておりまして、橋梁自体が長い事もありまして、より編成の長さも実感できる場所ではないかとも思います。

 

 

 しかし、かつては福岡貨物ターミナル駅からさらに西の方までも平成10年まで貨物列車が運行されていた事がありまして(一部区間は平成8年まで)、この先には博多港駅・福岡港駅・福岡市場駅の3つの貨物駅、そして臨時駅として平成元年8月中に設置されておりました福岡ボート前駅が存在しておりました。

 

 これらかつて存在しておりました貨物線・貨物駅の跡には現在は道路・駐車場をはじめ、商業施設(旧博多港駅)家電量販店(旧福岡港駅)などとなっておりまして、現在はかつての面影は見る事ができなくなっております。

 

 

 さて、今回から前編・後編の2回にわたりまして、その博多臨港線として存在しておりました、旧福岡市場~福岡貨物ターミナル駅間の模様を皆様にご紹介してまいります。

 

 

 まずご紹介します画像は、以下画像の福岡市鮮魚市場会館があります、中央卸売鮮魚市場であります。この市場も、「博多の台所」の一つでもありますが、ここで水揚げされる魚や各地から持ち込まれる魚もあるなど早朝から賑わう場所でもあります。

 

 

 こちらの画像は、鮮魚市場立体駐車場であります(過去撮影)。かつてはこの駐車場があった所まで線路が延びておりまして、ここは旧福岡市場駅の一つの場所でもありまして、かつては東京や大阪方面への鮮魚貨物列車の始発駅でもありましたこの地も、今はそういった面影も全く見る事ができなくなっております。

 

 

 上の撮影位置の逆方向の撮影です。この付近もかつては複数の線路があったと思われまして、その中には北側にあたります画像左側へも線路が延びておりました。ここもその北側はもう海に近くなっておりますので、まさに船と貨物列車とがマッチしたような姿であった事は間違いないなかったようでもあります。

 

 

 それから東側へ進みますと、旧福岡港駅付近へと達してまいります。この付近は、後述の須崎埠頭への線路の分岐点でもありましたし、複数のヤードが見られておりましたが、ここには小麦を積載します肌色の「ホキ」形式の貨車が多く留置している姿も見られていた場所でもありました。
イメージ 5
 
 (別の位置)~奥が旧福岡市場方

 

 

 ここからご紹介します画像は、その旧福岡港駅があった場所であります。画像8の撮影地点の右側には、先述のように家電量販店・隣にマンションがありまして、かつてここが貨物駅であったと言う面影は見られなくなっております。
 
 (マンション部分)~左側~奥が旧福岡港駅の部分になります
 

 

 こちらの画像は、上の画像の反対部分にあたります、「長浜通り」側の部分でありますが、上の画像のマンションの部分とともに、よく見ますと施設自体が斜め方向に存在しているのがわかりますが、これは旧福岡港駅があった名残でもありまして、この部分の右側に、かつては貨物ホームや線路が存在しておりまして、実際旧福岡市場方へ進んでおりましたが、かつての旧駅内には先述の「ホキ」などと言った貨車も見られておりました。

 

 そんなこの場所には、現在は家電量販店「ケーズデンキ」が入居しておりまして、最近各地で新店舗が建設・オープンする姿が見られておりますが、以前はこれからご紹介します姿でしたので、正直こうした姿に変わるとは思いもしなかったほどであります。ちょうどこの撮影時は平日夕刻でしたので利用者も少ない時間帯でしたが、これが週末となりますと駐車場も埋まるほどになるのではないかとは思われます。
 
 
 その「ケーズデンキ」の前に入居しておりましたのが、温浴施設「天神ゆの華」などの施設でありました。この温浴施設も、中心部天神に近い事もありまして、天然温泉でもあった事から利用者が多い施設でしたが、この「天神ゆの華」はJR貨物直営であった所でもありまして、一時は貨物列車グッズまで発売されていたほどでした。また、隣の立体駐車場「エフパーキング」も同様にJR貨物直営でしたが、これら施設に、私自身もよく利用していただけに、正直閉店は惜しかったなと思う所ではありましたでしょうか。
 
 (「JRF」も見られた「エフパーキング」の看板・エフパーキング)

 

 また、「天神湯の華」に隣接しておりました釣船茶屋「ざうお」も存在しておりまして、このお店は全国の「ざうお」のお店にあります釣船システムを採用した先駆けのお店でもありました。

 

 (令和4年閉店前撮影)

 

 それにしても、これら施設はJR貨物の再開発で閉店した所でありました。現在もこれら土地はJR貨物が所有してはいますが、それでもその再開発の答えが家電量販店であったと言うのは正直残念ではなかったでしょうか。責めて新たな形で多く集客を得ていた温浴施設などが復活してくれればよかったのですが・・・

 

 

 さて、ここから先へと進んでまいります。ご紹介しておりますように、画像の部分はこれまで線路があった場所でしたが、その面影はもう見られなくなっております。ちなみに、画像左側にありますのが中央区内にありまして数年前に移転してきました浜の町病院、右側の鉄塔は九州朝日放送(KBC)の鉄塔でもあります。
 
 
 さらに進みまして、画像のように左右に分かれる部分がありますが、ここの左側がかつては須崎埠頭への線路があった部分でもあります。現在その須崎埠頭も、外国からの小麦が輸入される場所でもありますが、そこへ線路が延びていた事で、当時としては効率的には良かったのかも知れなかったようではあります。

 

 

 こちらは上の画像右側の道路の反対側、須崎埠頭・福岡都市高速天神北ランプへと至る事になります、「天神那の津線」側であります。かつての線路があった部分は現在中央の自転車・バイクが置かれている部分(保管場)の所を通っておりました。尚、道路自体も少々狭いながらも元々存在しておりましたが、線路が撤去された事でこのように拡大されております。

 

 この「天神那の津線」を横切るように、かつては踏切も存在しておりまして、画像の付近に昇開式の遮断機も存在しておりました。現在はそう言った面影もなく、天神から天神北ランプ・須崎埠頭方面、逆に画像のように須崎埠頭・天神北ランプ方面から天神方面へ車が行き来する姿が見られておりまして、特に西鉄バスの姿はよく見られております。

 
 こちらは福岡市場方でありますが、当時線路・踏切は、画像の白線部分に存在しておりまして、よく見ますとそれらしき跡を見る事もできておりますし、段差も残されていた事もわかります。尚、画像左側が先述の鉄塔もあります九州朝日放送(KBC)でありまして、かつてはKBCの裏を貨物列車が通っていた事にもなります。
イメージ 11

 

 それにしても、かつて中心部天神の北側に貨物列車が運行されていた事を思いますと、もしも今走っているならばどうなっているだろうか?とさえ思うほどでもありましょうか。それよりもかつて存在していたという事さえも信じられないと思われる方の方が今ならば多くいらっしゃるのではないかと思う所です・・・。

 

 

 博多臨港線は、さらに現在の「ボートレース福岡(福岡競艇場)のそばも通っておりました。現在、画像に見えます外向発売所「ペラボート福岡」がある部分も、実はかつては線路が通っていた部分でもありましたが、現在はそういった面影は見る事ができません。
 
 (画像中央~右側を通っていました)
 
 
 さらに進みますと、画像奥に見えます木の部分から、現在の駐車場の出入口付近にかけまして線路が通っておりまして、これらは既に舗装されておりまして面影は見られなくなっておりますが、形からもかつて線路が存在していた事を伺う事ができております。

 

 こちらは上の画像の反対側の位置であります。この辺りが、臨時駅でありました旧福岡ボート前駅があった場所になります。尚、その下の画像でありますように、この先には「ボートレース福岡」の正面入口へと進む事にもなりまして、「ボートレース福岡」の最寄り駅としての姿が実際にかつて見られておりました。

 

 (旧福岡ボート前駅があった部分)

 

 (「ボートレース福岡」正面)
 
 この旧福岡ボート前駅は、平成元年8月の数日間のみ営業していたものでありまして、この「博多臨港線」自体がJR貨物の管轄ですが、その福岡ボート前駅までの区間に関しましては一時的にJR九州が借り受けて運行されておりました。
 
 この理由としましては、現在の福岡タワーや放送局・博物館などがある場所にあたります「シーサイドももち」と呼ばれる所で開催されておりました、「アジア太平洋博覧会」の一環として企画されていたものでありまして、この旧福岡ボート前駅までの区間には以下画像の現在は全廃されましたキハ58系気動車「アクアエクスプレス」や、
イメージ 4

 

 今年春まで熊本~鳥栖間を「SL人吉」として運行されておりました、当時SL「あそBOY」として運行されておりました8620形蒸気機関車58654号と、在来型の12系客車3両の組み合わせで運行されておりました。
 
 それにしても、今思いますとなぜ専用客車の50系客車は使用されなかったのか?気になる所ではありますが、これら列車が運行されていた事は、今となれば貴重な記録ではなかったのかと思います。ちなみに、私自身「アクアエクスプレス」で乗車した事がありましたが、普段見慣れない所を利用してみて、変わった印象であった事を覚えております。

 

 

 さらに進みますと、線路は「ボートレース福岡(福岡競艇場)」の構内を沿って通りまして、那珂川にかかっておりました橋梁を通る事になります。ここを渡りますと中央区から博多区へと変わる事にもなります。残念ながら、画像のようにその鉄橋自体は撤去されておりますが、台座だけは両側とも残されておりまして、現在も詳しく見る事もできております。
 
 (過去撮影)~画像中央部分に橋梁がありました
 
 (台座・旧福岡港方)~「減速航行」の表示付きです

 

 (台座・香椎方)~画像中央部分

 

 

 那珂川の橋梁を渡りますと、画像の中央部に線路は存在しておりました。この先には、福岡国際センター・福岡サンパレス・福岡国際会議場と、福岡の主要公共施設が続きますが、福岡国際センターなら大相撲などのイベント、福岡サンパレスならコンサートなどのイベントがよく開催されている場所でもありますが、こんな場所を沿うかのように博多臨港線は存在しておりました。私も、今も存在していたならば、この11月の大相撲九州場所時にかかりますのぼりとマッチして撮りたかった所でもあります。

 

 (那珂川より国際センター方面を望みます(中央部に線路が存在しておりました))

 

 
 今回前編は旧福岡市場駅より現在の福岡国際会議場付近にかけましてご紹介しましたが、ご覧の皆様もやはり中心部天神の北側に貨物線が存在していた事が今となれば信じられない所ではないかとも思います。しかも、貨物列車の運行が廃止されました平成8年頃からしましても交通量は格段に増えておりまして、かつ渋滞もしばしば発生しておりますので、正直今思いますと廃止になってよかったのでは?とさえも思いますし、もしも残っているならばどうなっていただろうか?とも思う所です。次回後編ではさらに福岡貨物ターミナル駅までの廃線跡探訪もご紹介しますので、次回もご覧になっていただきたいと思います。