突然ですが、皆さん発達障害をどうとらえていますか?
『発達障害は障害の一種じゃない?』
『障害ではなく個性じゃないか?』
上記のように、発達障害は捉え方ひとつで意見が異なってきます。
こうした議論は健常者であれ、発達障害の方であれ、意見が分かれています。
実際に私の友人で発達障害の診断を受けた友人は、
『仕事もプライベートも充実しているからこそ、なんで障害者扱いされなければいけないのか?』
と言ってきますし、逆に健常者の友人の中には
『発達障害は、れっきとした国が認めた障害だから、
ちゃんとした処置のもと雇用を受けてほしい』
と意見を上げている方もいます。
こうした議論は発達障害を語るうえで避けては通れない、議論ではあると思います。
特に軽度の発達障害であれば、なおさらです。
なので今回、私自身がこの議論をどう考えているか、話していこうと思います。
この議論を考える前に理解しなければいない事ですが、
発達障害は国が認めている、れっきとした障害
ということです。
これを言ってしまえば、事前の議論自体が破綻してしまいかねませんが、これはゆるぎない事実です。
ただほかの障害と比べて、発達障害の受診率はマスメディアに取り上げられて年々増加傾向にあると言われている現在でも、受診率は発達障害の症状を持っている方の、一割にも満たないと言われています。
実際に受診をせずに仕事やプライベートで上手く自分をコントロールできるから、障害者として国に認めてもらう必要性がないと感じる方もいらっしゃいます。
また障害者手帳を受領されている方でも、障害者雇用で入社せず、一般雇用で入社している方など、個々人の症状や選択によって、雇用内容も変わっている稀有な障害です。
こうした個々人の選択肢が広い障害はほかにはなく、ある意味いびつな関係性こそが発達障害の特性になっているのかもしれません。
ここまで発達障害の基本的な前提を考察してきましたが、前提を見るだけで皆さんも意見が分かれてくるのではないでしょうか。
実際に私が体験した、交流会や勉強会ではそれぞれ発達障害に対しての捉え方が全く違う人ばかりで、驚きがあります。
しかしそれは仕方がないと考えます。
発達障害と言われる症状は、広義的で簡素化された枠組みであり、その中にあるADHD、 ASDなど症状によって全く違います。
また同じ症状でも、症状の重さも、内容も、はたまたADHDとASDを両方を持っているなど、すべての人の症状が違うのにもかかわらず、すべて発達障害は同じ枠組みでくくられてしまうため、 異なることはむしろ当然です。
実際にASDとADHDを持っている私ですが、感覚過敏を持っているわけではありません。
しかしADHDの特性である、『多動性』、『衝動性』、の特性と、ASDの特性である、『反復動作を志向する傾向』は持っています。
むしろ違うことこそ、発達障害の特性の一つと考えていいのではないでしょうか。
ではなぜ発達障害をネガティブ的な『障害』として捉える方もいる反面、ポジティブに『個性』と捉える方もいるでしょうか。
結論から言えば、
これまでの人生における成功体験(自己肯定感)の差
が一番の理由ではないかと私は考えます。
どうしてこう考えるようになったかと言いますと、私自身の経験もそうですが、いろいろな方の本や話を統合しても、発達障害を『障害』と捉える方は、基本的に自己肯定感が低い方が多く、自分の特性にフォーカスしすぎて自分もしくは他社に対して、ネガティブな発言が多い印象を持っています。
実際に交流会や勉強会のお話を着ている限り、『障害』として捉えている方の多くは、何か失敗した際に、
『どうせ~だから』
『あの人はできても、私はできない』
などの自己卑下された言葉をよく話されています。
逆に『個性』と捉えられている方の多くは、今までの人生において、成功体験(自己肯定感) を積まれているかもしれませんが、比較的前向きに、発達障害をとらえておられます。
こうした方の多くは失敗したとしても、
『まあ、特性だし今回はしかたがないが、次は気を付けよう』
『これは苦手で失敗したけど、自分の得意なこれであれば挽回できるし頑張ろう』
などポジティブな言葉を耳にします。
私はこの差こそ、『障害』と捉えるか、『個性』と捉えるかの、大きな要因になっていると考えます。
ただしこの考えですが、ある一点の特性に関しては、上記の考えにあてはまらないと考えています。
その特性は、
感覚過敏
です。
感覚過敏の症状を持つ方に関しては、もちろんその特性(例:聴覚過敏だからこそ、 繊細な音の微弱に気づけて音楽家として成功されたり、色彩過敏の方がその特性を生かして美術家で成功したり)もあると思います。
ただ、そうした成功されている方の多くも、感覚過敏の影響で、日常生活に多大なる負荷を感じて、心だけでなく、体も壊してしまう方が多くいます。
実際に聴覚過敏の方で、黒板にチョークで文字を書くときの音がダメで、学校にいけない方や、迷彩過敏の方で、太陽の光がダメで、昼に外出できない方など、感覚過敏の方の多くは、 普段、健常者が何気なく行っている作業を変わらないように生活できない方が多いといわれています。
こうした方に私は、
『発達障害は考えを変えれば個性だよ』
と簡単に伝えることはできません。
なぜなら感覚過敏は、その人たちの努力によって、症状を下げることはできても、完治はしないと言われています。
言い換えればこうした特徴を持っている方は、私たちが経験することがない、とてつもない苦労と隣り合わせの生活をされているはずです。
そんな経験している方においそれと、『発達障害は個性』だよと口が裂けても私は言えません。
ここまで、発達障害を『障害』と捉える考えになったか、『個性』と捉える考えになったか、 私の経験と考察を基に話してきましたが、ここからは私はどう考えているか話していきます。
結論から言えば、
障害でも個性でもどちらでもなあって、どちらでもない
です。
ここまで見ていただいた方は、腑に落ちない答えだなと考えている方もいると思います。
ただ、私はそうとしか答えられません。
なぜなら、どちらの考えも間違っておらず、その人の人生経験における結果、どう発達障害を捉えるかは人それぞれで仕方がないのです。
実際に発達障害の方で、子供の頃にDVを受けている方や、仕事でパワハラを受けている方にポジティブに『個性だから』と伝えても、自分の経験外の話ですし、なんだったらその言葉を話している人に悪印象を持たれても、何ら不思議ではありません。
そうした方が発達障害を『障害』と捉えて、果たして間違いと言えるのでしょうか?
私は言えません。
だからこそ、私は
障害でも個性でもどちらでもなあって、どちらでもない
と結論付けています。
ただ私自身は『障害』ではなく『個性』と捉えるようにしています。
なぜかと言いますと、答えは簡単で自己肯定感を上げるために『個性』と捉えた方が自分はいいと考えているからです。
私自身今でも『障害』ではないかと考える時もありますし、ネガティブな捉え方もすることもあります。
ただ私自身そうした考えが自己肯定感を下げていると考えています。
実際に私は『障害』と捉える時よりも『個性』と捉えている時の方が、ネガティブな感情に支配されることは少なくなりました。
考え一つですが、こうした考えに変わることで人生は劇的に明るくなっています。
はっきりと違うと、断言できます。
だからこそ自分自身は『個性』として、捉えるように努力して、ポジティブなマインドセットになるようにしています。
ここまで発達障害の特性を『障害』と捉えるか、『個性』と捉えるか考察してきましたが、 これは私個人の意見であり、考察も私の実体験と調査で得た経験則でしかありません。
結論で伝えている通り、考えは人それぞれあって、だからこそ議論になっているのです。
ただ捉え方はどちらでも問題ないのですが、自己肯定感が少ない人はどちらの考えでも、自分と他人の比較をして、心身を壊している人が多いです。
そうした二次障害を避ける意味で、どう考えるかそれはあなた次第です。
発達障害の症状は完治しません。
そうであればネガティブに感じるのではなく、ポジティブに考えることで人生楽しくなり ます。
Life is fan
人生は一度きり、楽しく持てるような考えにもっていける捉え方で、行きましょう!