ぼくらのへんたい 6 (リュウコミックス)
ふみふみこ
徳間書店


ふみふみこさんの『ぼくらのへんたい』第6巻を読みました!

『コミックリュウ』で追いかけ続けている『ぼくらのへんたい』ですが、ついに第6巻となりました。三人の関係にもいろいろ変化が出始めたのが新学年の始まった第4巻。第6巻はその夏休みとそのあとの2学期、という時期です。(まあ、この3人の関係は常に変化し続けてるんですけどね。それはもちろん、3人がそれぞれ変化し続けているからですが。)

第6巻は2014年の4・5・7・8月号の掲載分。22話「夏休み」、23話「夏の終わり」、24話「小さなお茶会」、25話「わたしのへんたい」。掲載誌でずっと連載を読んでいるときにはけっこう心に引っかかるところがあって素直な気持ちで読めないところがあったのですが、今回単行本で読み直してみて、そういうものが自分の中でもうこなれさせることができたからかもしれないのだけど、なんというか凄く流れが良くなっていて、素直に読める感じがしました。

第22話『夏休み』。これは私、今までのエピソードの中でも一番に近いくらい好きな回でした。扉のともちと裕太が屋上の排気塔みたいな構築物に上がって空を見ているカラーの絵がまず凄くよかったです。

エピソードとしては、「女の子になりたい」「私は女の子だ」と思っている裕太=まりかについに「声変わり」が訪れてしまう、というちょっと深刻な内容なのですが、落ち込んでる裕太をともちが自分の家に誘い(友達を家に連れてきたのは初めてだそうです)、ざっくばらんな包容力のあるお母さん、一番上の姉、ハードワークな看護師の槙さん、いけいけ口ピアスの女子大生希さん、コスプレ女子高生の歩さんといった個性豊かな家族の中で、歩さんに思う存分女子のコスプレさせられ、にぎやかな夕食を食べて凄く楽しくなります。実は下心のあるともちが、まりかに手を出そうとして出せない感じも中学生っぽくて、まあまりかが他の人を好きなことを知っているからなんですけど、そういうともちも好きですが(キスくらいすればいいのにとちょっと思ったりもしましたがそれもしないところがいいんですね)、一番いいのは歩さんに性同一性障害の病院の受診を勧められ、槙さんに病院を紹介してもらっての帰り道、まりかが空を見上げて、声変わり中の出ない声で

「あーこんにちは」「わたしはまりかです」「わたしはまりかです」

というところです。まりかはまりかなんだ。自分のあるべき姿を確認したと言うか、気持ちが決まったと言うか、今思うとそういう感じなのかなと思いますが、この場面は連載当時から一番好きでした。

で、2度目に読んだ時は連載誌と比べながら読んでいたのですが、全体的に細かいセリフの修正はいくつもあったのですけど、絵が変わっていたのはセーラー服を着たまりかを見てともちが「いいなあ」というところ。連載時は絵がなかったのが、まりかの振り向き姿にそちらを見ているともちの絵があって、これは凄く印象的でした。それからセーラー服が入らなくなったときに泣いた、と歩にいわれたともちが表情を崩してそれを認める場面で、連載誌では「あーもー」というセリフだけだったのが、ともちの悲しそうな顔に差し替えられていて、(セリフなし)これも無言の力を感じました。ともちがまりかを大事にしているのは、まりかはともちができなかったことをしている、ということもあるのかもしれないな、と思いました。

「ぼくらのへんたい」単行本ではメモ的にそれぞれのキャラが取り上げられていて、1巻ではまりか、2巻ではユイ、3巻ではパロウ、4巻ではあかね、5巻でははっちだったのですが、6巻ではまさかのセンパイ。パロウの元?恋人ですね。背表紙のセンパイのダメダメ感も凄いですが、渋谷龍彦と言う名前にも澁澤ファンとしてはぎょぎょとしました。(笑)

23話「夏の終わり」では、重要な場面はいろいろあるのですが、好きなのはあかねとパロウ(田村修、あかねはタムリンと呼びます)のファーストフードでの場面からの流れ。こういう日常的な場面でキャラクターたちが自然に話している場面って、このマンガではあんまりないんですよね。この場面でパロウの自虐的なセリフが全然あかねに通じないところが凄く可笑しくて、それでパロウが浄化されて行く感じがするのですが、女装を見たいと言われて嗜虐心が起こり、でもなんというか結局24話では結局その自虐性の世界に引きずり込もうと言うパロウの嗜虐性が凄く自然にスルーされて逃げられたりしてしまうのが凄く可笑しいですね。そしてその中で、パロウはおそらく救われて、素直な気持ちになって行き、裕太を心配するあかねをなだめるためにまりかに連絡さえとってしまう、そういう気持ちの流れが、連載時にはあまりはっきり見えなかったのが今回読み直していて凄く強く見えてきました。

そう、あかねとパロウのデートの時のパロウの女装を見たあかねの反応が連載では「な、なんていうか」だったのが単行本では「お…おお…」とよりシンプルに、より動物的に?(笑)より正直になっていて、これは凄くよかったなあ。

それからあかねと裕太がいるところに裕太のお母さんが帰ってきて「裕ちゃん病院いく日あさってでいいかな」というのを聞いてあかねが「どっかわるいの?」と直線的に攻め込むところの変更も、何て言うかあかねの本気に裕太を心配する気持ちがよく出ていて、なんか本当にいい子だなあと思ってしまいます。

それから、亮介=ユイがはっちに女装姿を見られて学校ではっちに避けられた時、お母さんのために亡くなった姉の姿を見せているということを、裕太やパロウ以外に見せてしまったら、辛いとか悲しいとか認めてしまってそれに囚われてしまって、それが怖いから「気がつかないフリ」をしている、そうでもしなきゃお母さんのように自分の世界に閉じこもっている人を支えることなんかできない、と思う、その気持ちが、今回読んでいて初めてひしひしと伝わってきました。「たぶんパロウは、そうなって(悲しみや辛さに囚われている)んだろう」と思うところも、なんかそのニュアンスが初めて分かった気がします。

そして結局、はっちに同意してはっちの両親に母親を病院に連れて行ってもらう時、「助けて」と叫ぶ母親に「お母さん」と手を伸ばしたのに、「だれだおまえ」と言われたときに、亮介の中で崩れ去って行ったものの大きさみたいなものも、連載の時と変わっているところはないのに、初めて感じられたように思います。

そしてあとがき。私もそのつもりで読んでいたのですが、ふみさんは当初、ファンタジーとしてこのお話を書いていたのでずっと読んだほんと想像で書いてらしたそうなのですが、この6巻を書くにあたって初めてニューハーフの人と精神科医の人に取材をされたのだそうです。それは、まりかが「女の子として生きる」ことを決意し、性同一性障害の専門の病院に行くと言うかなり重大な場面がありましたから、やはり正確を期したのだということだと思います。まあその部分がやはり他の場面と比べて凄くファンタジーでない、現実的な場面に感じられたのはまあ難しいところですが、やはりあとがきでふみさんも書いておられるように「まりかと同じような気持ちの方は信頼できる病院に相談されると良いかもです」というふうにお考えになったということでしょうし、その「かも」の部分に、何となく安心するものがありました。凄く微妙なところですもんね。

でもなんというか、この場面があったお陰で、なんというかまりかというキャラクターの強さと言うか、どんなことがあっても自分らしく生きる、というところが強調されたように思います。

連載時は、あまり奥深くに入り込んで読めてなかった部分が多かったなと読み直してみて思いました。とても、良かったです。

私事ですが、今日一つ年をとりました。誕生日に、こういう感想を書けたことは、なんだかとても嬉しいことのような気がします。また一年、頑張って行きたいと思います。