ギャングース(2) (モーニングKC)/講談社

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今週のモーニングは重い雰囲気の作品が多かったです。『ギャングース』41話もそうでした。

瀕死の状態で、サイケの脳裏に自らの過去が走馬灯のように浮かびます。最初は少年院の中での記憶からです。

少年院では、近親者との記憶を掘り起こして感謝の気持ちを持たせると言う趣旨の「内観法」が行われるのだそうですが、サイケはそれによって覚醒剤中毒の母親との思い出したくない過去を思い出させられます。でも母親とのことを慕う気持ちもあり、母親との面会が知らされて一瞬喜びますが、結局直前になって母親は来ないのです。少年院ではとにかく「家族との絆を取り戻させる(再統合する)」ことに社会復帰の重点を置くのだそうですが、サイケの場合のように親こそが非行の元凶になっている場合も多く、原作者の注ではそうした少年院の方針に強い疑問が示されていました。

もちろんケースによって違うでしょうし、しっかりした家庭の場合はそこで更生することも不可能ではないでしょう。でも本当は無理に親との再統合をすぐには図らない方がいいこともあるのだろうと思います。だからといってどうすればいいかと言うとアイデアがあるわけではないのですが・・・実際、親に問題があるために子供がとても苦労する、と言うことはすごく多いと思います。

少年院から出院するとき、そんなサイケを迎えにきたのはカズキとタケオでした。出院のときに母親に頼まれた形ばかりの「身元引き受け人」は、3000円とプリペイド携帯だけ渡してすぐに去ります。サイケはカズキとタケオに誘われて牛丼を食べにいき、滂沱の涙を流します。

これは実際によくある話だそうです。少年院の中の健康を考えた薄味でない、砂糖と肉の濃い味こそが「生きることそのもの」だと感じられるのではないかと原作者は言います。『幸せの黄色いハンカチ』で網走刑務所を出所した健さんがラーメンを食べる場面も、そんな風に考えるとなるほどなあと思います。

サイケと彼らは友達になります。そしてカズキは、斉藤恵吾という名前からサイケと言う呼び名をつけるのです。私は名前の由来はもちろんサイケデリックのサイケだと思っていたので、これには『そうだったのか!』と思いました。(笑)

そんなことを思い出す夢の中から目が覚めたサイケは、枕元のカズキが持ってきたテイクアウトの牛丼の匂いに目を覚ますのです。

このストーリーは実際ハードな話なのですが、実際、私が知っているそういう子供たちの事情も相当ひどいものがあります。しかし社会としてもなかなか「親との再統合」しか方法がないのが実情なのだろうと思います。その辺りはおそらく、世界中でまだ解決できない問題として残っているのだろうと思いますが・・・

出院後の世話をするボランティアや組織がもっと充実していれば、再犯率がもっと下がるだろうと言うのはその通りだろうと思います。実際問題、話を聞く限りでは、民間の努力では現状でもいっぱいいっぱいのようで、もっと幅広い社会の関心をあつめて、公的にも民間でも何か力になってあげられて、彼らが力を尽くしてこの社会の中で一人の人間として生き抜いていける仕組みが作れればいいなとは思うのですが。

ただ、この作品を読んでいると、そんな彼らが悪条件の中で力を尽くして生きている様子が描写されて、こちらは何もできないけどがんばってほしい、と思うのでした。

読み終えてあれ?と思ったのはサイケには兄がいたはずなのです。今回の回想には全然でて来なかったのだけど、どうなってるんでしょうね。また物語の展開の中で語られてくるのだと思いますが・・・