風雲児外外伝 松吉伝/復刊ドットコム
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みなもと太郎さんの書いている『風雲児たち』という作品があります。これは以前書いたことがありますが、1970年代から連載の続いている作品で、一度全30巻が出て終わりましたが、また続編として『風雲児たち 幕末編』がはじまり、こちらもすでにもう23巻まで出ていて、それでもまだ和宮が降嫁していない(!・笑)という息の長い作品です。


この『松吉伝』はみなもとさんの母方の祖父、漆原松吉という人物の話です。


この作品は、今年1月に「復刊ドットコム」から発売されましたが復刊ではなく、当初『斬鬼』という時代物の雑誌に連載され、それが廃刊となって、一時『コミックGUMBO』という無料誌に掲載するという話もあったのですが一度も掲載されないうちに休刊になってしまって、結局第9話まで書いたまま宙ぶらりんになっていた作品を、とりあえずまとめられたというものだそうです。


実は私は『斬鬼』は買っていたことがあって、(もりもと崇『難波鉦異本』という江戸時代の大坂の新町遊郭を舞台にした作品が目当てで少し読んでしました)、また『コミックGUMBO』も結構もらっていた(無料なので東京駅前などで配布されていた)のでどちらもなじみがあったのですが、どちらも廃刊になって多くの漫画家さんたちが慌てていたことは記憶に新しいです。


この話は、最初にみなもとさん自身から見た松吉の話が語られます。小さい頃はいつも祖父の膝に座っていたみなもとさんも、成長してからは反発して近寄らなくなっていたのだそうですが、祖父の胆の座り方が尋常でないことは子どものころから感じていたそうです。その祖父が亡くなったのはみなもとさんがマンガ家になった後なのですが、その時からこの漆原松吉という人物がとんでもない人物であることが分かってきたのです。


何しろ、明石元二郎のもとで国家予算の数分の一にあたる金額を動かして日露戦争で日本が有利になる国際世論をつくることに貢献し、甘粕正彦と相談して満州国の建国にも一役買った人物なのだそうです。(話が大きすぎてピンときませんが・笑)


みなもとさん自身はほかのエッセイ漫画でも書いていらっしゃいますが、基本的に進歩的なお考えの方なので、祖父がこうした戦前の大日本帝国のある種の中枢にいた人物であったらしいことにもほとんど関心を持たなかったらしく、みなもとさんの母がそういう話をしていてもうるさがってまともに聞いてなかったのだそうです。だからこうした話も「眉に唾をつけて」聞いてくれ、と断っていらっしゃるのですが、それは半分本心であり、半分はテレのようなものではないかなと思います。


ここで語られている漆原松吉は栃木県の名家の出身だったのですが、父はやくざ者だったそうです。松吉自身は優秀であったものの進学することができず丁稚奉公に出て、やがて軍隊への入隊を志し、優秀な成績で近衛兵になったのだそうです。それを日露戦争の諜報に活躍しのちに台湾総督になったことで知られている明石元二郎に見いだされ、彼の下で働くのですが、その時のことはほとんどまったく誰にも話さなかったのだそうです。松吉はその後憲兵隊に配属され、そこで後輩の甘粕正彦(満洲国建国の立役者)と知り合ったのだそうです。


その後松吉は除隊し、日韓併合後の朝鮮の各地で警察署長になります。この時の話がみなもとさんの母(松吉の娘)の経験談として具体的に語られているのですが、武装蜂起した朝鮮の農民たちのところに一騎で説得に向かうと、大群が来ると勘違いした農民たちが勝手にパニックを起こして四散したとか、全く武勇伝としか言いようのない話が多いのです。


読んでいると「血盟団事件」を起こした井上日召の自伝『一人一殺』に出てくるような眉唾物の武勇伝を思い出させるところもあるのだけど、何というか大人のような悠揚迫らざる振る舞いが多かった人物だったようです。


またみなもとさんの母の経験談も可笑しいのですが、遊びに来る友達が両班(朝鮮時代の貴族)の姉弟で、二人とも輿に載って召使を連れて遊びに来るというのが凄かった。当時の朝鮮半島の警察署長というのは江戸町奉行のように三権を握った存在だったらしく、ものすごい強大な権力を握っていたので、周りの大人はみな子どもだったみなもとさんの母にぺこぺこしていたのだそうです。


そのあと松吉は警察署長もやめて実業家になったそうですが、散発的なエピソードがいくつか語られ、そのあたりで連載も休止になってしまったようです。満州国と甘粕とのかかわりも、甘粕は当初清朝のラストエンペラー溥儀(のちに満洲国皇帝に担ぎ上げられる)を漆原家にかくまう計画を持っていたらしいのですが松吉が拒絶したという話以外、あまり書かれていない(それももちろんとんでもない話なのですが)のでそれ以上はわかりません。


自分の祖父のことだからでしょう、みなもとさんはすごく描きにくそうに描いていらっしゃるのだけど、読む方としては正直相当面白いです。どれもこれも松吉本人はほとんど語らなかったのだそうで、周りの人の話で構成されているわけですが、明治の日本人というのはこんなふうに、いうなと言われた秘密をそのまま本当に墓場まで持って行った人がたくさんいたんだろうなあと思いました。


みなもとさんが大長編歴史ギャグ漫画を描かれるようになったのも無意識のうちに松吉の影響を受けたのかもしれない、と思ったのでした。