かくかくしかじか 2 (愛蔵版コミックス)/集英社
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これは傑作だ、と思います。というか、「才能ってあるんだな」と改めて思いました!


東村さんはもとより凄い力がある漫画家さんなんですが、それに加えて自分をさらけ出せる勇気があります。


そうできるから「自分のことが嫌になって、本当に落ち込んだこと」をちゃんと描ける描写力もあるんだなあと感じます。当たり前と言えば当たり前なのですが、その当たり前のことが本当にできているんですね。余計な格好つけがないし、ちゃんと描こうとして力が入り過ぎて破綻したりすることもない。こういうところを一切ぶれなく描けるというのが、本当に力があるということなんじゃないかと思うんです。


東村さんの作品はすごくドライブ感があって、ときに「飛び過ぎ」なんじゃないかな―…(汗)と思うこともよくあるんですが、『かくかくしかじか』の表現は、私にも、いや誰にでも届く表現だと思います。


「普通の人」の悔恨、苦い思い出、忘れてしまいたい恥ずかしい自意識の記憶。何でも簡単に言ってしまう今の時代の表現でいえば「黒歴史」なのですが、そういうものとちゃんと向き合うということは、東村さんのようなもともとそういうものをかなりの部分ネタ元にしているような人にとっても、大変なことなんだと思います。なんていうか、そういう力を振り絞ったような表現なんです。


東村さんのマンガって、どこが魅力的なんだろう、と思ってみると、「自意識のかわいさ」の表現なんじゃないかと思います。もともと相当強い自意識を持っていて、おそらくはそれに振り回されて相当苦労し、また苦い後悔もあっただろうということは、すごく伝わって来ます。


それはこの『かくかくしかじか』にも描かれていますが、デビュー作の自伝マンガ、『ひまわりっ』にも描かれています。『かくかくしかじか』を読んでから、もう一度『ひまわりっ』を読み返したのですが、以前よりもずっと強く、そういうことを感じました。


自意識というものは、そのまま描いてしまったら、普通はやはり読むに耐えないものになると思うんですね。それは誰にでもあるものだからで、その醜さをそのまま描いても誰も読む気がしないと思うんです。

でもそれを少しひねって「うわああああ、こういうことって、あるよねええええ」みたいな感じで読めるとものすごく面白いものになったりしますね。東村さんはそういうことが天才的に上手いのだと思います。

女の子の自意識というと、一つには少女マンガにたくさん表現されているわけですけど、特にコミカルなラブコメ系の「遺産」を相当上手く使っているように思います。


また東村さんの絵の特徴でいえば、男性誌に描いたことで、余計な線の少ないシャープな構成の絵になったのではないか、と想像しています。自由自在にキャラクターを暴走させ、キャラクターに振り回させる「強さ」が東村さんの作品にはあって、余すところなく描きたいことを描いている感じがするんですね。


本当にこの作品を読んで、自分の中にあった東村アキコさんの作品に対するちょっと苦手な印象がすべて吹っ飛んだ感じがします。また東村さんの作品を、先入観に振り回されないようにして(笑)、読んで行きたいと思いました。