岡山アートファーム主催の短歌ワークショップに参加している。

先生は大森静佳さん。

場所は吉備路文学館。

11月末の第一回講座には都合で参加できなくて、一首詠んで提出した。


さざなみに弄ばれし桟橋の姿悲しき長島の秋


11月初めに長島愛生園を訪ねた時の情景。私が作った初めての短歌だ。

以下は、大森先生の講評。

褒めすぎでしょうと思うけど、短歌を本格的にやろうかという気になってきた。

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長島愛生園の近くの「桟橋」を見つめておられる場面でしょうか。「長島」は三重県など他の土地にもあるため確定できませんが、一応岡山ゆかりということで長島愛生園のこととして読ませていただきました。私も、小中学校の頃に長島愛生園の歴史を知るための授業を何度か受けたことがあります。

この歌で、さざなみが寄せ返しているのは「桟橋」ですが、「弄ばれし」「悲しき」という強い表現があることで、単なる叙景の歌ではなく、この「桟橋」を長島愛生園のひとびとの運命と重ねて詠まれていることが分かります。過酷な運命に「弄ばれし」ひとびとの一生をしずかに悼む、そんな一首だと感じました。また、今が「秋」であるというのも、沈鬱でさびしい雰囲気を導いていると思います。字義どおりに読めば「桟橋」そのものも、経年劣化で朽ちつつあるかなり古い桟橋なのかもしれません。

短歌ではよく、「悲しい」「寂しい」「嬉しい」などの直接的な表現は避けたほうがいい(=「もの」や景に託したほうが膨らみがでる)と言われますが、この歌の場合は「悲しき」に体重が乗っていますし、「悲しき」がないと「桟橋」の象徴性が伝わらない気がして、これはこのままで良いと思いました。全体的にリズムも整っていて端正な一首だと思います。しいて言えば、「弄ばれし」の「し」が過去をあらわす助動詞なので、いままさに目の前で「桟橋」を見ているという臨場感が薄くなってしまうのがやや気にかかりましたがいかがでしょうか。