以前記事に書きました指輪の形の呼び名について、ネットを色々見ていますと、ふっと疑問が湧いてきたので詳しく調べることにしました。2016〜17年の記事で、古いリングのある形状を「生子形」と申し上げましたが、どうもそれが一般名詞ではなさそうなので、私の所有している戦前の指輪に関する資料を動員して、頑張って調べてみました。

 

結論から申し上げますと、私の調べた限りでは、断面が半円状の指輪を「生子形」と名付けたのは、当時大きな貴金属商だった「天賞堂」のみで、他は「蒲鉾(かまぼこ)形」もしくは「甲丸形」と呼んでいたようです。しかしながら蒲鉾と甲丸の差についてもあまり区別されていなかったようで、要するにリングの形状の名称は結構いい加減なものであった、というのが私の結論です。

 

私が指輪を調べようとして最初に見たのは天賞堂のカタログで、探している形状の指輪に生子形とあったのを見て「ああこういう風に表がボワっとした形の指輪を生子に見立てて名付けたのか」と勘違いしてしまいました。ただ、次第に他の色々な店のカタログを見ていくと、「生子」を使っているのがどうやら天賞堂のみかも?と思うようになりました。

 

『生子』「E-48」と「E−54」(『精采』大正15年10月25日発行)

 

これを見ると、48は私の思っていたナマコの形なのですが、54はどう見ても普通の蒲鉾(甲丸)形です。あれっと思って日本宝飾クラフト学院が公開されておられます『伝統装身具ネット図鑑』の「資料2ー大正時代の商品カタログ」の、大正14年の天賞堂のカタログに生子形指輪がいくつか出ているのを見ても、やはり蒲鉾形ばかりのように見えます。

 

三越呉服店『時計と指輪』(明治時代)

(上のEー54と太さが違うだけで形は同じ)

 

そこで、「生子」と「カマボコ」でネット検索してみますと、なまこ壁の説明が出てきて、なまこ壁独特の格子状の白い漆喰が蒲鉾形とのことで、思わずあっこれだ!と納得してしまいました。要するに天賞堂の命名は『生子(壁の漆喰)形=蒲鉾形』という意味だったのではないでしょうか。もちろんまだこれは仮説ですが、もしそうでしたら

こんなところで謎かけせんといて〜な

と叫びたいところです。(爆)

このカタログを受け取った当時の人も、「生子形って何?」と疑問に感じたと思います。

 

ちなみに、「蒲鉾形」と「甲丸形」は同じものとのことで、戦前から同様の形状の指輪を蒲鉾と呼んだり甲丸と呼んだりしています。

 

服部時計店『指輪カタログ』昭和2年1月発行

 

『服部時計店定価表20号』昭和6年9月5日発行

服部時計店いい加減すぎ・・・笑

 

もちろん、ぷくっとしたマジナマコ形(笑)の指輪も「甲丸」と呼ばれています。

 

『三越カタログ』昭和12年10月1日発行

 

ただ、この「蒲鉾」と「甲丸」ですが、本来は(現在も)呼び方が違うだけで形状は同じものとされているのですが、戦前にはどういう訳か区別されて掲載されているものもあります。下の写真の右半分は「甲丸」ですが、左側の指輪(4)は「蒲鉾」です。そういえば形がどこか違うようなそうでないような・・・

 

『服部時計店指輪目録』大正9年10月発行

 

以上を纏めると、要するに指輪の種類の呼び分けについては、当時はあまり厳密には考えられていなかったように思われます。天賞堂の「生子形」も他の店が付けた名称だしまあOKということだったのでしょう。ただ、このブログで私が勘違いしていた部分につきましては早速訂正しておきます。大変失礼いたしました。

指輪は本当に難しい〜〜〜!