岸信介については、現在の内閣総理大臣安倍晋三さんの祖父で、戦後日本の政界の大ボスとして長く君臨していたこと、東條内閣では商工大臣として入閣し、東條が軍需省を設置して軍需大臣を兼任した際には軍需次官に格下げされ、東條内閣末期には内閣改造に反対して辞表を提出しなかったため、東條内閣は崩壊した、という程度の知識しかありませんでした。
その岸信介が、その回想録『岸信介の回想』の中で、東條内閣や東條英機個人についていろいろ語っているのは知っていましたので、最近文庫本で出たのを機に購入して読んでみました。今回は引用ばかりですが、総理大臣としての東條の仕事ぶりの一端を垣間みられてとても面白いので、どうか最後までおつき合い下さい。

何と言っても東條内閣崩壊の張本人ですので、さぞかし辛辣な評価ばかりだろうと期待しながら読みました。が・・・
あれ、もしかしたら岸って東條にベタ惚れでした・・・?

これは大変意外でした。談話の時はすでに岸は85才頃でしたが、本当に懐かしそうに東條さん東條さんと語っています。その一部をご紹介しますと・・・

(注:満州時代の話の中で)
ー岸さんは、そういういかにも役人らしい東條さんとは、五カ年計画(注:これが何をさすのかわかりません)を進行させることを通じてうまくいったわけですね。
 うまくいきました。だから私は東條さんには信用があったと思います。今から考えても、私の帰国後、東條さんは陸軍次官として、私を商工次官にする事を主張されたようだし、東条内閣の商工大臣をやれといわれたことも、私を信頼してくれたからでしょう。それに東條さんは何かハラに一物あって事を運ぶというんではないですから、私自身も東條さんを相当評価していました。
矢次 官僚的合理主義者だな。
 そう、官僚的合理主義者という言葉がぴったりの人で、だから政治家ではないのですよ。

さすが岸ですね、東條を見抜いています。官僚的合理主義者、私も東條についてはそのように感じていました。この「政治家ではない」というのは一種の褒め言葉で、近衛文麿の話になった時、岸が商工次官を罷免された時に近衛に二枚舌?のようなものを使われた事を差して、こう言っています:
「そうです、その時、近衛さんというのはやはり政治家だな、・・・政治家とはこういうものか、俺はやはり若いのだなとしみじみ感じた事がある。」

東條内閣の組閣時のことについては、

 東条内閣ができることになって、私のところに東條さんから電話がかかってきて、君に商工大臣になってもらいたいという。私は、日米関係が困難になっているし、商工省は軍需産業に関わっている、戦争になるということであるのか、あるいは非常に難しいけれども、できるだけ戦争を回避するというのか、そのご方針を聞かないと、お引き受けするわけにはゆかない、電話では何ですから、うかがいましょうかと言ったら、俺は組閣で忙しい。君の心配については、最後まで戦争をしないつもりで、日米関係を調整するつもりだ。だから今、君が戦争になるということを前提にして商工大臣を引き受ける必要はない。しかし情勢でどういうことになるかわからない。その時はその時で君も商工大臣になった以上は、情勢が変わったらその覚悟をしてもらわなけりゃいかんが、今君に大臣になってもらうのはそういう意味じゃないんだとの電話でした。

私は東條内閣で軍需省が出来たとき、岸は反対して、東條が大臣になり自分は次官という立場をうらんだのかな?と思っていましたが、そうではなく、岸は東條の役に立てるならと喜んで次官になったようです。

 あれは私が進んでやったことだけれど・・・
矢次(商工省の軍需省化が進められたが)生産活動が統帥権に触れるので、現役の陸軍大将であり首相である東條が軍需大臣を兼務して、岸さんを落とせないから、次官で国務大臣という妙な人事をしたわけだ。
ーお話の次官で国務大臣というのはどういうことですか。
 軍需大臣は総理が兼ねるが、次官としてやり得るものは誰か。私は密かに自分が一番適任だと思っていた。すると案の定、私に次官をやれと東條さんが言ってきた。ところが私はすでに代議士なのですよ。次官になるというのは代議士を辞めなきゃいかんわけです。大臣から次官になるのはちっとも差し支えないけれども、代議士を辞めるというのは、私を選んでくれた五万何千という選挙民に承諾を得なければいけないことです。(そこで中心人物と話し合って、よかろうということになった)

ところが軍需次官になったのはいいけれど、国務大臣を兼任しろという。それは商工大臣だった私をただの次官にしたのではかわいそうだからという意味だろう。しかし私はそういう東條さんの気持ちはよくわかったけれど、やはり次官を引き受ける以上は、国務大臣になることは遠慮したいと言ったのです。東條さんはどうしてかと聞くので、私はこう答えた。軍需次官としては大臣であるあなたの言う事を無理でも何でも聞かなければいけない。しかし国務大臣となると東條さんと同格だから、あなたの言うことでどうしても受け入れる事ができなくなる場合だって生じる。そういう矛盾した立場に置かれるのは困るので次官だけでいい、と。

そうしたら東條さんはうまいことを言った。いや、お前を優遇するために国務大臣を兼任させるのではない。俺は軍需大臣だけれど総理と兼務だから、忙しくて軍需省には行けない。ところが軍需省には軍人をたくさんまわすし、軍人というのは自分もそうだが、星の数で言うことをきいたり、きかなかったりするものだ。若い頃からそうやって育てられてきた人間だ。次官といえば星二つの中将格だけれど、大臣は星三つの大将だから、陸海軍からやってくる中将以下は皆お前の言うことをきく。だから俺の留守を取締まる君を国務大臣にするのだと。なかなかうまく口説かれたと思いましたよ(笑)。

他にもいろいろあるのですが、ご興味のおありの方には書籍をお読みいただくとして、東條内閣末期、岸が東條と意見の対立から憲兵につけまわされた時のことが面白いので挙げておきます:

 最後には大臣の鑑定に四方憲兵隊長がやってきて、軍刀を立てて、東條総理大臣が右向け右、左向け左と言えば、閣僚はそれに従うべきではないか、それを総理の意見に反対するとは何事かと言う。それで私は、黙れ兵隊!お前のようなことを言う者がいるから、東條さんはこの頃評判が悪いのだ、日本において右向け右、左向け左という力をもっているのは天皇陛下だけではないか。それを東條さん本人が言うのならともかく、お前たちのようなわけのわからない兵隊が言うとは何事だ、下がれ!と言ったら、覚えておれといって出て行った。・・・」

東條が憲兵を使って云々というのはよく耳にしますが、岸は憲兵を差し回したのは東條ではないという認識だったということですね。確かに憲兵は陸軍大臣が管轄していますが、私も猛烈に忙しい東條がいちいち卑屈にも憲兵に指図していたとはどうも思えません。この頃は東京憲兵隊が勝手に暴走していたのではないでしょうか?

字数の関係上飛ばしますが、戦後、巣鴨に収容されていた東條について、岸はこのように述べています:
「四月に起訴されてから、起訴組とそうでないものとわかれた。起訴された連中が散歩する姿を窓からのぞいてみて、不起訴組の連中がいろんな話をしてたんだ。東條さんの後ろ姿は非常にいいというんだよ、人間的に。その点はみんな一致していた。総理時代のようなイライラが見えない。なにかもう自分で死を決した人の姿だ、もう一度東條さんを総理にしたらきっと立派な総理となるだろうと話し合った事があるんだ。

そこまで惚れ込んでいたとは!東條内閣時代の意見の相違と人格の評価とは別ということなのですね、さすが岸は大物だと感じました。

私は東條内閣の閣僚って、基本的に戦時内閣に巻き込んだ東條を心底恨んでいるのかと思っていました。でも、少なくとも重光葵、星野直樹、そして岸信介は、恨むどころか戦後も東條を高く評価しているのには驚きました。東條が政治家タイプではなく官僚タイプの人間だからでしょう。今更言ってもなんですが、東條って、軍人ではなく官僚の方が向いていたように思います。