「般若心経」の本質 | 「生身感覚同期」⇒「写楽」

「生身感覚同期」⇒「写楽」

「光還元⇒自然同期」の「気づきの促し」⇒「ウツシ」「転写」「翻訳」の働き作用 「写楽」とは「転写」を楽しむ事です。

「般若心経」の本質

「般若心経」の本質は「自我機能同期」の否定です。「私」「自分自身」の意識現象の否定を語っている「物語」「ストーリー」です。

別な言い方をすると「言葉」「文字⇒イメージ」の否定を述べています。「自我機能同期」では現代文を読んでも聞いても「チンプンカンプン」です。

 

「物語」「ストーリー」の究極的な「お話し」ですから「チンプンカンプン」になるのは致し方がない事です。

古今東西の「偉い人」「有名人」の伝統仏教系の開祖・僧侶・学者等の解釈仮説は人数分ありますが、誰も「智慧の完成完結者」になった人はいません。どうしてか?わかりますか、「生身感覚同期」で読む事に気づかないからです。

「般若心経」は経典として読むと「宗教現象」に反転します。「おとぎ話」と同様の「お話し」として読むと読み方が変わります。感じ方が変わります。

 

例えば、先般より紹介しているVHS・DVD等の「映画」「動画(映像)」「アニメ」「リアル」の全ては「般若心経」の世界観を反映・投影しているのです。

「般若心経」自体が、全ての「物語」「ストーリー」の「写し・転写」の集約・凝縮された「お話し」だからです。

人類の意識現象の循環を示すと同時に「生身感覚⇒自然同期感覚」への気づきの促しとして2500年以上伝統経典として伝えられてきているのです。仏教各派は全て「般若心経」を現代に伝えるために残されているのです。「不安の補完先」としての宗教現象だからです。

しかし「受け手」の方々の「言葉」「文字⇒イメージ」の「ごっこ遊び」に転じているのが現実現象なのです。

 

「般若心経」の本質は「生身感覚同期」の「お話し世界」を伝えているのです。伝統仏教と同じ読み方をすると「不安の補完先」に転じてしまします。「智慧の完成完結」に至らないからです。

一般的な「智慧の完成」の世界観

 般若波羅蜜多とは「智慧の完成」あるいは「最高の智慧」という意味です。 般若とは修行者が釈尊の教えに基づいて瞑想する際にさまざまに教えを考察し、また、ある―つの事柄に精神を集中して分析する智慧のことです。 その修行の智慧が完成すると仏陀になります。 言い換えれば、智慧の完成によって仏陀に成るという解釈仮説です。⇒「言葉」「文字⇒イメージ」遊びです。

「智慧の完成完結」とは「成仏する事

伝統仏教の「成仏観」を紹介します。

中川 皓三郎(なかがわ こうざぶろう)(教授 真宗学)大谷大学

成仏という言葉を聞くと、私たち日本人は、「死ぬこと」と理解しがちであるが、本来はそのような意味ではない。

成仏とは、文字通り仏に成ることである。仏とは、真理に目覚めた人という意味である。その真理は、縁起の法と言われ、今から二千五百年ほど前に、釈迦族の王子であったゴータマ・シッダールタという青年が、二十九歳の時、老病死の苦しみからの解脱を願って出家し、六年の苦行の後に、菩提樹の下で目覚めた真理である。

それは、すべての存在は、それ自身で在るものでなく、他のすべての存在なしには在り得ない、という目覚めであった。
 

 『スッタニパータ』という古い経典に、「真理は一つであって、第二のものは存在しない。その真理を知った人は、争うことがない」と語られ、また、『仏説無量寿経』には、「もろもろの衆生において、視(みそな)わすこと自己のごとし」と語られているように、仏に成るとは、もはや如何なるものとも敵対することのない、世界が私であるという目覚めを生きるものに成ると言ってもよいだろう。

ブッダ〔仏に成ったゴータマ・シッダールタを、<釈迦族から出られた尊い人である>として釈尊と呼ぶようになった〕は、八十歳でいのち終わるまで、自らそれに目覚めて仏に成ることのできた、その真理を身をもって示し、言葉をもって説いていかれたのである。

 

それは、「あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起すべし」(『スッタニパータ』)と語られているように、はかり知れない慈しみをもっての関わりであった。

 

そのことによって、人間の社会の中に僧伽(そうぎゃ)〔和合衆〕と呼ばれる親しい交わりの場が生み出されていったのである。
 

ゴータマ・シッダールタという一人の人が仏に成ったことは、「一切の衆生に悉(ことごと)く仏性(ぶっしょう)有り」(『涅槃経』)と語られているように、すべてのものが、その本性において仏であるということが明らかになったのである。だから、すべての人間は、仏に成ろうとして生きているのであり、仏に成らなければ〔真理に目覚めなければ〕、この世に生まれてきたことの意味が完成しないのである。⇒「真理の悟り」のお話しでした。

「智慧の完成完結」とは「我が身⇒60兆の細胞同期」の現象に同期する事です。「生身感覚同期の事」を言います。

古今東西の「物語」「ストーリー」を集約・凝縮すると「般若心経」の「物語」「ストーリー」になるのです。