「物語」「ストーリー」の生成は過去の事 | 「生身感覚同期」⇒「写楽」

「生身感覚同期」⇒「写楽」

「光還元⇒自然同期」の「気づきの促し」⇒「ウツシ」「転写」「翻訳」の働き作用 「写楽」とは「転写」を楽しむ事です。

「物語」「ストーリー」の生成は過去の事

古今東西の「物語」「ストーリー」・現在進行形の「物語」「ストーリー」の全ては、「現象化が起きた後のお話し生成」です。「メディア情報」「インターネット情報」の全ては「過去の物語」であり「お話し」です。

「物語」「ストーリー」は

「自我機能同期」による「対象化」「モノ化」「擬人化」「象徴化」現象です。

「自我機能同期」による「アレンジ・デコレーション・デフォルメ」現象です。

DNAの「写し」「転写」「翻訳」の現象化による「変換」の働き作用です。

「自我機能同期」による「自我の生成・形成」は誰でも「誕生後」の「言葉」「文字(映像)イメージ」遊びによる「刷り込み⇒刻印付け」です。⇒伝承・継承の環境遺伝です。

古今東西の「物語」「ストーリー」の後追いをしているのが「巡礼現象」「あやかり現象」⇒「不安の補完現象」です。

 

横山紘一氏の「唯識を生きる」を何回か紹介していますが、

「心」の単語・用語と「意識現象」が混同された状態で語られています。「現象変換⇒翻訳転写」の誤りがある事が示唆されます。一般の人々にとっては既に定着化されているので違和感は感じません。⇒「心こそ大切」との事⇒「刷り込み⇒刻印付け」思考です。

「唯識論」を読むときは「心」は不安の補完用語である事を念頭に読んでいくと、全てが「言葉」「文字(映像)イメージ」遊びの「循環現象」になっている事に気づきます。

「偉い人」「有名人」「仏教学者」等はこのような読み方はできません。伝統文化の現象だからです。

 

ちなみに「映画」「動画(映像)」「アニメ」「リアル」は「物語」「ストーリー」の循環として、その時々現象化しています。「映像の世紀⇒写し・転写・翻訳の世紀」だからです。

繰り返されるバカ話に「自我機能同期」の「愚考」「愚行」に気づけ無い「人間(ヒューマン)」の「不安の補完主義」⇒「心理主義」が現実現象として「現代」と言う現実を生成しているのです。

わかりやすい実例⇒1990年代以降の「映画」「動画(映像)」「アニメ」「リアル」を振り返ると「物語」「ストーリー」が循環している事に気づきます。

しかし、人々は気づけません。「個人・個別」の「名前・名札・肩書」で世界を見ているからです。

だから、毎日が「探求グール、グルー」なのです。心身の不良不全の方々の世界観です。