「自己・非自己」の病理 | 「生身感覚同期」⇒「写楽」

「生身感覚同期」⇒「写楽」

「光還元⇒自然同期」の「気づきの促し」⇒「ウツシ」「転写」「翻訳」の働き作用 「写楽」とは「転写」を楽しむ事です。

「自己・非自己」の病理

「自己・非自己」の病理は、言葉を言い直すならば「自我機能」と「自己機能」の病理現象といえます。基本的「自我と自己」の病理は「細胞レベル」での「自己・非自己」の「ウツシ」「転写」の「現象化」です。

「自我」と自己」の病理は人間大学講座の第9回「拒否の病理・アレルギー」で語られています。

わかりやすく言い直すならば「受容する事を拒否・拒絶」する「自我機能同期」により心身の不良不全が現象化しているという事です。「自我機能同期」では、このような「読み直し」「見直し」はできません。

「自我機能」は常に「意図」「思惑」で反応を繰り返し「概念化」され蓄積されているからです。だから「自我機能」に不都合な反応は、全て「拒否」「拒絶」するのです。

「言葉」「文字(映像)イメージ」は「受け手」が「自然還元」しないと通用しないのです。

「通用しない」から全ての「言葉」「文字(映像)イメージ」のやり取りが「ごっこ遊び」になっているのです。

「拒否の病理」の図式化

「拒否の病理」は「自我機能同期」の「拒否の病理」に「ウツシ」「転写」され、様々な心身の不良不全・不適応に現象化している事は医療福祉領域・教育領域等の専門家等は、まだ理解に至っていません。「自己機能同期⇒自然同期」に至っていないからです。

「シリーズ 人体・特別版」7回シリーズが現在放映されています。(2018年の11月から12月に放映)⇒「自然同期」している「人体」のお話です。「自我機能」では「知識」の上書きになるだけです。「自己機能同期」に気づくためのキッカケ番組です。

 

古今東西の全ての「物語」「ストーリー」が「読み手」「受け手」で異なるのは「自我機能同期」による「言葉」「文字」の「現象還元」できない事から生じている「拒否の病理」なのです。

「自己機能同期⇒体感同期」する事が「自我機能」により「阻害」されているのです。

「ブログ」「通信」を見ても「体感」は生じません。「知識の上書き」循環でしかありません。

わかりやすい実例⇒様々な領域分野での様々な取り組みは「お話ごっこ」の範疇でしかありません。

いかなる「哲学」「宗教の教義」「思想」等々、全て「言葉遊び」の範疇です。

「メデイア情報」「インターネット情報」等の「言葉」「文字(映像)イメージ」の循環ゆえに「指摘された問題」「問題視された事項」は解決しないのです。

毎日、毎日、「自我機能同期」で探求していても「気がすまない」のです。「言葉追い」「文字追い」の「拒否の病理」が働き作用しているからです。⇒「不安の補完症候群」の現象化です。

「拒否」とは「自我機能同期」による「受容の拒否」「現象の否定」として「現象化」しているのです。

わかりやすく言うならば「現象変換」された「言葉」「文字(映像)イメージ」の世界では「思いが通用」しないのが現実なのです。通用しないから「不安の補完用語」が生成してくるのです。

実例⇒2月24日からの「ウクライナVSロシア」の紛争は世界を巻き込んでの様相が拡大しつつあります。3ケ月経過しても、誰も「紛争」「戦争」を止める事ができないのです。

全ては「言葉」「文字(映像)イメージ」の「意図」「思惑」の世界だからです。「映像の世紀シリーズ」で検証されていても「自我機能同期⇒言葉同期・文字同期」では一切、通用しないのです。これが「自我機能同期」の「拒否の病理現象」なのです。⇒「自己と非自己の病理」

「言葉」「文字」の「ごっこ遊び」である事は「自己機能同期⇒自然同期」しないとわかりません。この循環が人類史の現実だったのです。全ては「ギャングエージ」の循環現象です。

 

多田富雄⇒『ウィキペディア(Wikipedia)』⇒偉い人の経歴です。

「自我機能同期」は学歴・経歴で人を見ています。「バカ同期」の世界でしかないのです。

茨城県結城市出身。茨城県立水海道中学校(旧制、現在の茨城県立水海道第一高等学校)・茨城県立結城第二高等学校を経て、千葉大学医学部進学、在学中に安藤元雄江藤淳らとともに同人雑誌『purete』に詩などを寄稿。千葉大学医学部第二病理学教室に勤務、1964年医学博士(千葉大学、題は「遷延感作ウサギにおける抗体産生の変貌」 。のち教授、1977年東京大学医学部教授、1995年定年退官、東京理科大学生命科学研究所所長。[1]1971抑制(サプレッサー)T細胞を発見するなど免疫学者として優れた業績を残す(現在ではサプレッサーT細胞の存在には疑問符がつけられ、坂口志文によって発見された制御性T細胞に取って代わられている[2])。

野口英世記念医学賞朝日賞1981[3]持田記念学術賞(1987年)受賞。文化功労者1984)に選出[1]瑞宝重光章2009)を受勲。文筆家としては50代になって執筆活動を多く行い始め、『免疫の意味論』(青土社1993)で大佛次郎賞[1]、『独酌余滴』(朝日新聞社1999)で日本エッセイスト・クラブ賞、『寡黙なる巨人』(集英社2007)で小林秀雄賞を受賞。

の作者としても知られ、自ら小鼓を打つこともあった[1]謡曲作品に脳死の人を主題にした『無明の井』、朝鮮半島から強制連行された人を主題とした『望恨歌』、アインシュタインの相対性理論を主題とした『一石仙人』、広島の被爆を主題とした『原爆忌』がある。

20015月2、滞在先の金沢脳梗塞を発症し、一命は取り留めたが声を失い、右半身不随となる。だが執筆意欲は衰えず、著作活動を続けた[1]。晩年まで東京都文京区湯島に在住した。

 の作者としても知られ、自ら小鼓を打つこともあった[1]謡曲作品に脳死の人を主題にした『無明の井』、朝鮮半島から強制連行された人を主題とした『望恨歌』、アインシュタインの相対性理論を主題とした『一石仙人』、広島の被爆を主題とした『原爆忌』がある。

2001年5月2日、滞在先の金沢脳梗塞を発症し、一命は取り留めたが声を失い、右半身不随となる。だが執筆意欲は衰えず、著作活動を続けた[1]。晩年まで東京都文京区湯島に在住した。

2006年4月から厚生労働省が導入した「リハビリ日数期限」制度につき自らの境遇もふまえて「リハビリ患者を見捨てて寝たきりにする制度であり、平和な社会の否定である」と激しく批判し、反対運動を行った。2007年12月には『わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか』(青土社)を刊行した。

2007年には親しい多くの知識人とともに「自然科学とリベラル・アーツを統合する会」を設立し、自ら代表を務めた。

2010年4月21日、前立腺癌による癌性胸膜炎のため死去[1]。76歳没。関連著作が、没する前後にはいくつか出版された。 

 

「拒否の病理」による「脳梗塞」の発症実例です。「我が身⇒60兆の細胞同期」の現象の「体感覚知」がなかったからの発症です。このような「現象化」が「自我機能同期」の「物語」「ストーリー」であり「未完の完結」なのです。

 

脳梗塞(こうそく)からの“再生”~免疫学者・多田富雄の闘い~2005年12月4日(日)  

2010年5月30日アーカイブス放送

国際的な免疫学者でエッセイや能の作者としても知られる東大名誉教授の多田富雄さん(71歳)は、4年前、脳梗塞に倒れ、一夜にして右半身不随、声と食べる自由を失った。

華やかな学者人生が一転、他人の介護なしでは日常生活も送れない日々に一時は自殺まで考えながらも、多田さんは科学者としての独自の目線で、病気をみつめ受容していく。例えば「リハビリは科学。創造的な営み」と今も週3回熱心に通う。

NO5.

車イスで何処へでもでかけ、キーボードで電子音が出る機械で弟子をしかりとばし、大好きだった酒はトロミをつけて味わう。触ったこともなかったパソコンを左手だけで操り、本も数冊出版、エッセイでは福祉の不備をこき下ろす。

そんな多田さんが今、最も力を入れているのが今年上演される原爆の能の制作。科学者としての世界の核問題にかつてない危機感を覚えるからだ。しかし広島での公演を前に準備をすすめる多田さんを、今度はガンが襲う…。

脳梗塞で身体の自由を失い、さらにさまざまな困難に見舞われながらも多田さんは決して、歩き続けることをあきらめない。「失いたくないのは生きている実感」という類いまれな老科学者の半年を追ったドキュメントである。

 

「多田富雄スペシャル」ヒストリーです。「ジルボルト・テーラー」と同じ「物語」「ストーリー」でした。「こんなはずじゃなかった」と言う「未完の完結」の姿です。

「言葉」「文字(映像)イメージ」の「自我機能」は「名前・名札」の取り外しができないのです。

 

「自己機能同期⇒自然同期」になると「ウツシ」「転写」「翻訳」⇒「生身」を通し「自我機能」の世界が手に取るようにわかってしまうのです。

「生身感覚」なき「自我機能同期」は、常に「未完の完結」となり「自己と非自己」の病理により、多種多様な心身の病的現象化をもたらせているのです。

毎日、報道される戦争・自死・詐欺・いじめ・DV・引きこもり等の「心の不適応」は「自己・非自己」の「ウツシ」「転写」「翻訳」現象」です。

 

「自己機能同期」から見直すと、「言葉」「文字(映像)イメージ」のコミュニケーションは、「自我機能同期」の相手には「伝わらない事」を大前提に対応をしなければならないのです。

「自己機能同期」の方々は、自然に「気づきの促し」が相手によりオーダーメードで対応が可能となります。

「メデイア情報」「インターネット情報」は「鵜呑み」にしてはいけないのです。「『ごっこ』している」と見た方が遊べるのです。「伝わる」と言う「意図」「思惑」が消えるのです。

「宗教現象」「哲学現象」「人間(ヒューマン)」現象は「言葉」「文字(映像)イメージ」ごっこの世界なのです。ごっこ遊びは「現実拒否の病理」の世界と見直しができるのです。

その全ての基本は「『自己・非自己』の科学」で語られているのです。

まあ、こうして紹介しても「見る人はごく稀です」と言う事を大前提に伝えているのです。

免疫・「自己」と「非自己」の科学 多田富雄(NHK人間大学, 1998.1月-3月期) 水曜日2021/02/25 5時間59分10

NHK人間大学『免疫・「自己」と「非自己」の科学』 多田富雄 - YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=UJeNDcpXSCE&t=1669s