日本における手話通訳の歴史と理念/手話通訳の理念 | 手話通訳者のブログ

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参考サイト
http://home.att.ne.jp/theta/setatsumuri/ando-takada-ronbun.htm

上記からの抜粋


 ろう者の権利を守る手話通訳は、一つの理念である。この理念を一面的に単純化して、ろう者の保護者として手話通訳を理解することがあれば、それは誤りである。それは、ろう者の社会的自立、いいかえると、社会的行動の自由の獲得のための協力者であり援助者であるとすることが正しい。

 社会的自立の達成のためには、ろう者自身の自覚的努力と人間関係をも含めた社会的制度の整備されることが必要である。

 ろう者が手話通訳に期待する必要条件の一つとして、即時性を含めて常時性をあげることができる。必要な時いつでも即時に手話通訳を得ることを求めるのは、ろう者にとって自然である。このことは健聴者に常時聴覚が備わっていることと対応する。 しかし、この常時性の保障を手話通訳制度の発達、手話通訳の増員にのみ求めることは危険な側面を含んでいる。それは、ろう者の社会的行動の自由が、手話通訳の有無によって左右されかねない側面である。ろう者の要求する手話通訳の常時性は、いわば見かけの部分であり、その本質は、社会的自立にあることを見誤るべきではない。 この見誤りは、手話通訳のろう者コミュニケーション保障の単なる一手段化をもたらす。そこには、重要な人間関係の発達をみることはできず、金銭に換算される労務の被提供、提供の関係が残るだけであろう。

 ろう者の医療関係通訳の依頼は多く、かつ、時間的にも集中する。内容の複雑なものもあれば、かかりつけの医者の定期診断といった単純なものもある。限られた手話通訳のメンバーでは、これらの依頼にすべてこたえることはできない。手話通訳派遣の取捨選択について激論がたたかわされた。1977年10月、京都における手話通訳の派遣センターである京都ろうあセンターの出来ごとである。

 その結果、内容の単純なものについては手話通訳の派遣を行なわず、事前に依頼者の同意を得て病院の了解と協力を求めることになった。 そして、センターと病院は、この了解にもとづいて、双方の協議の場を設け、双方から手話通訳、ろう者、医師、看護婦、事務局員等が出席し、率直な意見の交換を行なった。このような協議の場を設けたことの成果は、場合によって病院側がろう患者の呼出し、診断、投薬等について、手話通訳によらず、自らの一定の配慮を行なうようになったことであり、患者の個性によって筆談、簡単な身振り、継続された協議の場においてマスターした指文字によって、患者とのコミュニケーションがある程度、計られるようになったことであり、ろう患者は、手話通訳の協力と自ら直接の努力によって健聴者とのコミュニケーションの確立を計らなければならないことを学んだことである。

 当初、このことは手話通訳派遣にかわる手だて、一方的方便と考えられていた。しかし、それについて具体的な成果のあがるなかでこれもまた手話通訳の重要な任務と考えられるようになった。 ここに病院とろう者の人間関係の発達を見ることができる。また、ろう者は自由な行動の範囲をひろげることが出来たといえよう。こうした行動の自由の範囲の拡大こそ、ろう者要求の本質をなすものであり、ろう者の社会的自立のための人間関係の発達、社会制度整備の一里塚を示すものである。