息子のコウマ@16歳染色体異常で自閉症。
今日は、母親としての愚痴。
独り言です。
お付き合いいただける方だけ・・・
(自分でも頭がごちゃごちゃなので伝わると全く思えない文章です・・・)
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息子ができるようになりたいと思うことと、できるようにならなければいけないことの間で悩む。
偏見に負けるな頑張れと言う言葉と、障害児であることをわきまえて精進しろという言葉の間で悩む。
精神的肉体的共にあまりにも幼い現状と、いち早く大人にならねければならない事情の間で悩む。
なにもかにも求められるばかりで与えられず応じなければならない膨大な焦りと、子への負担を考えて圧縮して縮小せねばならない焦り。
子の葛藤は大きく、進む道に障壁は大きい。
過干渉なのか過保護なのか、それとも親の義務を離さない薄情さなのか。
大切なのはバランスであることはわかっている。
一番の焦りは、均衡を保つ能力も技術もない自分のことだ。
本人が決めたらあとは塾にお任せして、親は見守る。
それができれば、いいんだけれど・・・コウマの見た目を重く受け止める塾側に「障害があるお子様はちょっと・・・」と言われて現実的には難しいという壁を何度も体験して今に至る。
頑張るのは、子供。
負担の全ては、私。
夏休みも、忙しくなりそう。
家事全般のお手伝いは、障害児として「できなければならないこと」側。
高校生らしい勉強は、息子が「できるようになりたい」側。
負担にならないように、コンパクトにまとめてから教えるのが私の役割だ。
私は法学部の卒業生で、社会科全般は得意分野だったのだけれど・・・
この夏一緒に勉強すべき「世界史」「地理」「公共」・・・
世界史なんて、マゼランとマザランが頭の中で攪拌中。
こんなんで、教えられるのかしら。
教えるどころか、一から勉強し直さないと・・・アラフィフのおばさんが??
今は良い世の中で、Youtubeやサブスクの通信教育で色々と学ぶことができる。
息子も・・・そして私も。
これがなかったら、一体どうなっていたのだろうと思うくらい。
教育格差がなくなることを祈って作られたという教育系動画サイト。
ありがたい。本当にありがたい。
教育格差・・・貧困による教育格差が一般的には想定されているのかもしれないけれど・・・
障害児、特に学びたいのに学びの機会を得られなかった障害児にとっても、youtubeの教育コンテンツは本当にありがたかった。
同じテストで100点を取れても、染色体異常児という理由で排除されてしまう教育の場。
学力は要らないと、無視される。
いかに素直か、いかに言われたままに行動できるか。そんなことばかりに特化される世界感。
障害児という身分による教育格差、障害児差別による教育格差、偏見による教育格差・・・
あってはならないことが、残念だけれど、未だ存在はする。
勉強ができないから障害児ではなくて、障害児だから勉強ができないという事例はいくつも存在する。
無償で配られるはずの教科書一冊がいただけない。
50音表から出られない、漢字を書くことを許されない。
1の次は、2と教えられ、2の次は3と教えられ・・・
1と2の間を考えることに劣等感を感じなければならない世界。
普通の教育の世界と常識が異なって、できたら責められる。
できれば生意気と言われ、できなければ知的障害と言われる。
なにが、求められる答えなのか、許容範囲は狭く手探りはいつも外れる。
あくまでも、足並みを揃えることが優先される世界。
学校から子供にあった教育を受けられているかと聞かれれば、受けられていると言うしかない。
親は、学校に行けないから・・・一人通う弱い子供たちを守るために、我が子に適した教育を求めることができない。
忙しい先生方に求めてしまえば、すぐにモンスターペアレントと言われてしまう。
忙しすぎる先生方、足りない人手、他の子とのバランス。誰が悪いわけでもない。仕方がないとしか言いようがない。
そんな中で、一方的であっても子供が今学びたい学習を与えてくださる動画コンテンツに本当にお世話になった。ありがたかった。
時代に切り捨てられた子供だけれど。
時代に救われた子供でもあるなと、いつも思う。
夏が来る。
なにに重きを置いて、なにを切り捨てるのか。
冷静と情熱のあいだにあまりにも大きな溝がある。
決めるのは私じゃないけれど、息子は求めても社会の必要なツールに手が届かない。
高校一年生が当たり前に手を伸ばせるものに、手が届かない。
お金の問題じゃない場合も多いから・・・
応じる準備は、一応整えておきたいと思うのだけれど・・・・
なかなかに、悩ましいのだ。
独り言の、愚痴でした。