12月10日まで人権週間で、


「誰か」のことじゃない。


法務省が作ったそんなポスターを見かける。


障害児の問題と人権問題は切っても切り離せない。


障害児子育てど真ん中を14年間生きてきて、ずっと思ってきたことがある。


障害のこともまた、世界の縮図で。


旅人にとっての関心であり、

日常にとっての無関心なのだなと。


障害児界隈はまるで、世界から見た日本で。


大衆化してこんなにも健常児に近い子供達も障害児として福祉の恩恵にあずかる時代になったというのに。中には健常児界隈から虐められて押し出された子供すらいると言うのに。昨日まで同じ世界を生きていた子供すら、線の向こうの出来事だ。


重い子から軽い子まで。

一言に語れるものではなくなった歴史も、時代背景にも無関心にただ、自分達とか違うどこか遠い国の出来事のように。


ニンジャ、フジヤマ、ゲイシャ。


時代錯誤なイメージ通りのものがそこにまだあるように訪れては去っていく。


差し伸べられている手は、昔のように手厚く。

専門性を持った先生に指導してもらえて。

時代が進んだ分、もっと手厚くなって。

障害児も好きなことができるようになって。


そう、都合よく理解して帰っていく。


一般の人には、確かに関心を持ってもらえるだけでありがたい。知っていただけるだけでありがたい。

しかし、行政や福祉を司る偉い方においては、、、

ほんの少し踏み込んで考えていただければ。

この急激に増加した障害児界隈の人手不足とスキル不足。それに伴う現場の混乱。負担。重ければ重いほど声が届かなくなった現実はすぐ気がつけるほどに剥き出しなのに。


時代が入り混じった、イメージ通りの障害児界隈を。

旅して見て回って去っていく。

いずれにしてもイメージではなくて本当に起きていることを知って欲しい。


川の向こう側からはやってこれるのに。


こちら側から行くことは難しい。


同じ時代の同じ国で起こっていることなのに。


思う誰かと。

思われる誰か。


きっと隣に座っているのに。


あまりにも、遠い。