もう何度読んだかわからない。
この小説の背景についてネットでいろいろと調べていたらわかった事があったのでメモ書きする。

小説「夏の闇」は開高氏の代表作であり、個人的には1番好きな作品だ。
ゆっくり、ゆっくり、ともすれば退屈なペースで物語は始まり、そのペースは途中途中でスパイスが加わるものの変わらない。ラストで急加速しそして結末へ。

小説を読むとすぐに私小説とわかる作品で、その背景を一度自分なりに整理したかったのでまとめてみる。

開高氏は記者としてベトナム戦争をルポし、奇跡的に助かり帰国。
3年後の68年4月「輝ける闇」として発表。
同年6月に動乱のパリを取材する為にパリへ。
その後ドイツを経てサイゴンに再び赴き10月に帰国。
「夏の闇」と同じ行動である。
この68年6月からの間にパリで再開したのが「佐々木千世」である。
昔、小説家志望の彼女懇意になった開高氏は10年ぶりにパリで再開した。
佐々木千世さんのおそらく唯一の作品は「ようこそ!ヤポンカ」(婦人画報)。
彼女と開高がパリで出会っていたと証言されている本が「開高健のいる風景」。

約1年半後の70年3月24日、日本に一時帰国していた「佐々木千世」は都内で交通事故の為亡くなる。
同年6月から8月の間、開高は新潟県北魚沼郡銀山平に籠り「夏の闇」を書く。
2年後の71年10月「夏の闇」が発表され、翌年文部大臣賞を打診されるが辞退。

この小説を発表したとき開高氏は次のように発言している。
『これまで書くことを禁じてきたいくつかのことをいっさい解禁してペンを進めた。これを“第二の処女作”とする気持ちで、四十歳のにがい記念として書いた。この作品で私は変わった。 著者』

ここまでが「夏の闇」のストーリーだ。

一番好きな作品だけにその背景をまとめて自分の頭をスッキリしたかった。