ストレンジ・ブルー (ROCK ESSAY 7) | 月夜の出来事 - 今村幸治郎 -

月夜の出来事 - 今村幸治郎 -

音楽と文学をこよなく愛し、とっても温かく、優しく、
ユーモアであふれていた愛すべき
色鉛筆画家今村幸治郎 (1953-2018)。
彼の日々の想いや考えを綴ったブログ 月夜の出来事。
現在は幸治郎の甥にあたるたかちゃんの協力のもと
息子である今村 遊が更新しています。

 

1960年代も後半になって来ると、ビートルズも解散するし、イギリスの音楽シーンは変貌のときを迎える事となるのです。ロックは、リバプールサウンドの時代とは遥かに違う処まで、どんどん進化を続けていました。ジョージがインド音楽に興味を示したり、ジャズの影響を受けたり、ブルースやニュー・ジャズ、フリー・ジャズ、そしてクラシックから、現代音楽までミュージシャンは貪欲に新しい音楽を追究していたのです。ポール・マッカートニーも恐らく、アルバート・アイラーをも聴いて、彼の音楽をもっと巾のある音楽に仕様として日夜努力を重ねていたのだと思います。そんな所に、ジミ・ヘンドリックスが登場して来たのです。でも僕はきっと最初は絶対、理解されなかったと思います。僕も最初は取っ付きにくかったのを覚えています。それはきっとリズムがいままでのロックとは全く違ったからだと思うのです。僕は自分でバンドのドラマーだったので、ドラムを聴いてしまうのです。当時、凄いドラムと言えば、まずストロベリー・フィールズのドラムと、プロコール・ハルムのドラム、それに、ジミヘンのドラム、その頃、ドラマーは音楽性よりテクニックといわんばかりに手が早く動くドラマーが巧いドラマーだと信じられていたので、クリームのジンジャー・ベイカーや、フーのドラマーが巧いドラマーだったのです。でもジミ・ヘンドリックスのドラマーはちょっと違いました。
 それから、クリーム、エリック・クラプトンのこのグループの昔の飛行帽をかぶった映像は見たことがありましたが、ビートルズのビートルズアンソロジーの中で、アップルの開店のパーティの映像にクラプトンが登場しているのに一緒に見ていた、クラプトンオタクの友達は誰も知らなかったのです。まだ、全く無名だったのでしょうね、その映像でもただ写っているだけでした。

 

2007/01/27(土) 02:22:02