10/15は、巡禮記講話会でした。今回は、稲荷信仰についてです。

近所のお稲荷さんに毎日通っていたら、色々なアイデアや依頼で事業が安定し始めて、自宅を全面改装できたってよ。という噂を聞いて興味を持ちましたw



須佐厳さんが言っていたのは、人の修行とは、行者のように神に近づこうとする修行ではなく、幸せに満たされて生きてゆこうとすること。

例えば、玉の輿に乗りたいという欲望。

強い野狐に憑かれた場合も、叶うには叶うけど、それはまぐれで後が続かない。

普通の家で育ってきた人が、代々有形無形の資産を受け継いできた資産家に嫁いだところで、上手くいかなくなるのは目に見えています。

宝くじの高額当選者の末路を見ればわかりますが、お金へのマインドが整わないうちに資産を持っても、維持するのは無理ですよね。

よき狐の神様は、欲望をそのまま叶えるのではなく、順序を教えようとするそうです。

資産を受け継ぐとはどういうことか、人に求められるとはどういうことかを勉強し、血肉にする機会を与えようとする。

玉の輿に乗りたいという欲望は、自分を見出だしてくれた人々と共に幸せに生きたいという願いとなり、家や組織の発展を願う人々を巻き込んだ祈りになります。

そうなると、それはもはや玉の輿ではなく、必然。

願いが叶った時は、生かしてではなく、「活かして頂きありがとうございます」と言い、次の欲望へと繋げていき、さらに幸せに生きようとする。

「生かして」だと、既に息してますが何か?でしかありませんが、「活かして」だと、自分の命を誰かや大きな何かのために、使う機会を頂いたという意味になります。

私には、一年以上前から抱えていて、未だ解決できてない問題があるのですが、「順序」にヒントがあるのでは?と、お話を聴いていく中で思いつきました。





今日は早速、岩崎弥太郎さまゆかりの土佐稲荷神社に行ってきました。

よく見ると、御守りにも三菱のマークが。

あとは、リブログと講話会にて。←雑っw