前回の記事だけ読むと、そういうあなたは何で結婚したの?って思った人もいると思う。

ぶっちゃけ当時の私にとって、「結婚」という形があれば、生きるのに便利そうだったからだよね。

そこにあるのは生存本能のみで、感情はありません。

私の邪魔をしないなら、組む相手は誰でもよかった。

人生はサバイバルだから、孤軍奮闘より味方が多いほうがええやろ(適当)。

あと、既婚者になれば、職場を始め親戚中から繰り出される、あらゆるセクハラと嫌味とマウンティングを回避できる。

おまけとしては、履歴書のブランクについて、結婚して子育てしてましたと言えるw

ついでに言うと、理想的な妻や母にならねばというのもありません。

幼い頃、母が姉にかかりきりだったぶん、私は割と自由で、親戚の家に預けられたり、名前も知らない子の集団に混ざったり。

どこに行っても最年少か、それに近い場合が多く、何もしなくても可愛がってもらえた。

属する集団は一つでなくてもいいし、都合が悪くなれば属する集団を変えればいいと思ってるから、自分を殺してまで役割を生きるという、概念がないのかもしれない。

集団に自分を合わせるのでなく、自分に合う集団を探すのが、ベースなんだと思う。

それでも集団の中にいれば、何らかの役割に殉じることが求めれる。

努力はするものの、まともに役割を果たせたこともなければ、役割を果たすことで居場所を得ることもできなかった私。

白眼視されても自分を貫き通すか、それができる居場所を新たに作るしか選択肢がなかった。

前例を打ち破るよりは、自分で一から生み出すほうが、おそらく精神的苦痛は少ない。

古株ばっかの集団に単身乗り込んで行くのと、オープニングスタッフとの違いみたいなもん。

当時の私にとって最善と思えた選択が、結婚だった。それだけのことなんです。

でね、見合いや政略結婚が当たり前だった時代の結婚は、家を生き延びさせるためだったはず。

結婚生活の支柱になったのは、おそらく生きる意志。

私のは、家同士のサバイバルが個人単位に変わっただけかな。

そこに恋愛感情を入れて、永遠の愛とかムリゲーしようとするから、ややこしくなる。

移ろいやすい感情を結婚生活の支柱にすりゃ、そりゃすぐ揺らぐし、離婚率も跳ね上がるだろうね。