ある人が説く、急激な変化を煽る真理を聞き、いきなり騒ぎ出した妻に夫が面食らい、離婚にまで進んでしまう事例が、物凄い確率でありますが。

大抵の人は急激な変化は望まないものだし、一方が変える必要性を感じてないなら尚更、対立が生まれるのは必然。

離婚を決意した上での行動なら誰も止めませんが、そうではないなら。

どうして、変化することを相手にも強要したくなるのか?自身の真実を問うほうが先。

第一、真理というのは誰かに押し付けられたり一方が決めるんじゃなく、相手との関係性の中で決まっていくものだと思うんですよね。

なのに、大半の人が、今ここではないどこかに転がっていると思い込んでいる。これぞまさに、答え探し教育の弊害!

相手と向き合っていく中で、自分の中で真理だと思っていたことが、そうではなかったと気付かされることはよくあります。

私たちは変化を実感したいがために、急激な変化を望みがちですが、革命にしても成長にしても、急激に起こったものは、大抵後々ロクなことになりません。

これが、人の営みのようです。

その上でやはり変化を望むなら、心は変幻自在に、行動は人々を刺激しない程度に少しずつ手探りで変えていく。

すると、時間の経過と共にいつの間にか変化している。それが理想でしょう。

この話で思い出したのが、己土濁壬。

聞いた話によると、この並びのみで成立するとは限らないようです。

成立した場合、漸進的変化を求める性質になりそうですね。