女に良妻賢母を求めるなら、男には甲斐性を求められる。

男女共「~べき」に囚われ、生きづらさしか生まない良妻賢母と違い、愛され系を目指すのは、悪いことじゃないと思う。

可愛いげのある女子が増えても誰も傷つかないし、夫婦や恋人同士で役割に縛られたり、役割を上下や勝ち負けで捉えて、対立しあってるよりはるかにいいから。

ただ相手の喜ぶ顔が見たくて、酔狂で愛され系を目指すなら、これほど無邪気で純粋で強いものはないと思う。

でもね、小悪魔やクラブのママによる○○や理想の男と結婚する方法などと銘打った、愛され系カテ?の書籍を見るたびに思うのよ。

ほとんどが、男から金と時間と労力を引っ張るハウツーじゃねーかw

問題は、愛され系を目指す人が持つ愛されたい気持ちの中に、相手より特をしたい優位に立ちたい、必要とされ認められたいという、奪うエネルギーが見え隠れしてること。

そうしたエネルギーの背景には必ず、無価値感なり無力感がある。「ない」と認識していなければ、奪おうと思わないから。

「愛され系」を目指そうと思ったのは、いつ、何がきっかけですか?

その答えが、アッシーメッシー貢ぐ君をGETしたい、それだけでなく、無価値感なり無力感を男にどうにかして貰いたい。だけど、自分は何もしたくない。

だとしたら、身勝手な欲求を「愛され系」という、一見殊勝げなオブラートに包んで自分を誤魔化しているだけ。

これは、相手だけでなく自分への冒涜です。

プラス、男をどうにかしようとするほど男に囚われることになるので、

女が女として、自然体でありのままの自分を生きられるようになることは、100%ありません。