「良妻賢母にならないと愛されない」が、「愛され系にならないと愛されない」にシフトしただけのような気がするの。

愛されなくても生きていけるし、愛されようと頑張らなくても、オリジナルの価値はある。

理屈で表現できることって、コモディティ化するのよ。

オリジナリティを殺して、メソッドをなぞるということは、替えのきく存在に、自らなりにいくことだからね。

ありのままの自分で愛されたいなら、誰かにおもねるのではなく、オリジナリティの生かし方だけを追求するのが、遠回りのようで近道。

恋愛論には、女は愛されたほうが幸せになれるとか、多く惚れたもん負けとかあるけど、好きにしたらいいと思う。

誰かのために、全てを捨ててもいいと思えることは、ある意味幸せだと思うよ。「失楽園」や「恋人よ」は考えようによっては、究極じゃないかな。

私は自分が大好きすぎて、そう思える誰かに出会えたことがないから。

結果散々だったとしても、それであなたの価値は揺らいだりしない。愛し抜く能力に間違いはないのだから。