27日(金)の予算委員会はトラブルなく補正予算を可決し、本会議も賛成多数で可決。参議院に送られました。

 あと、今国会での私の大きな仕事は1日(水)午後の予算委員会集中審議(テーマ「ウクライナ問題等内外の諸課題」、総理出席・TV入り)です。

 18時30分の新幹線で神戸へ。神戸のホテル泊。

 28日(土)は神戸から丹波へ。

 9時半から丹波市自治会長会総会に出席。3年振りの総会。私は挨拶の中で、緊急経済対策、丹波市に交付された3億円の地方創生臨時交付金、そして市の諸課題について話す。

 13時半から「故河合雅雄先生を偲ぶ会」が丹波篠山市田園交響ホール(サテライト会場は愛知県犬山市の日本モンキーセンター)で開かれ、私も、もちろん出席。

 私は「追悼の言葉」で次のように述べました。
『河合雅雄先生の御逝去の報に接してから早や1年となりました。
 1年経ったとしても、自然と動物をこよなく愛し、こども達が森や川の中で楽しく遊ぶことを誰より喜び、世の中の生きとし生けるものの幸せを願った先生の想いは私達の中に熱くあります。
 名高い霊長類学者で「サル学」の世界的権威であった先生は、一方、故郷兵庫、丹波、そして丹波篠山のために大きな足跡を残されました。
   (抄)
 また、先生は日本で唯一の冒険賞である「植村直己冒険賞」の選考委員を創設当時からされていました。受賞者を囲んで行われている手作りの祝賀会で河合先生と奥さまの良子さまと毎年、よくお話をさせていただきました。
 穏やかで、いつもニコニコされ、好奇心が旺盛でお話もおもしろく、ざっくばらんな中にも風格を感じさせ、大人(たいじん)のように度量の大きさ、深さを感じさせる方でした。苦労を笑いに変える方でした。
 河合雅雄先生は社会のあり方について時に意見を述べられました。宗教学者の山折哲雄氏は「どんなテーマでも奥行きの深い話ができた」と述べられたように、文明批評の鋭さにも定評がありました。
   (抄) 
 河合先生は静かに森へ還(かえ)られました。大変お世話になりました。ありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。』

 病気や危険な目に合った苦労を笑いに変えるような度量の大きな方でした。心からご冥福をお祈りします。

 式の中で、河合先生が大好きであった「手のひらを太陽に」が鎮魂歌として篠山少年少女合唱団によって歌われました。素晴しい企画でした。

 29日(日)朝8時、八鹿の事務所に新温泉町春来の区長さんなどが来られる。県道への土砂崩れ工事のスピードアップへの御礼に。

 10時から三田で国政報告会。会場一杯になる程、多くの方に来ていただく。有難いことです。

 終了後、同じ会場(総合福祉保健センター)で開かれている「さつきまつり」を見させていただく。第54回目とのこと。美しいさつきが数百展示されていました。見事です。さつきは三田市の花とされています。

 14時から猪名川町で国政報告会。猪名川も椅子を追加で出すほど盛況でした。

 今日の両会場とも質問の時間をとっていただき、事業復活支援金の手続きの迅速化、学校給食への有機農産物の積極的利用、野焼き問題、市町村への生活支援・産業支援交付金などの質問、意見が出ました。

日曜日の夕方、東京へ。

【丹波市自治会長会総会】

【故河合雅雄先生を偲ぶ会】




【三田市 国政報告会】






【さつきまつり 三田市】


【猪名川町 国政報告会】