19日(土)未明、衝撃の連絡。

 長島忠美議員が18日(金)の深夜、死亡したとのこと。66歳。

 言いようのないショックでした。なぜ?、どうして!、本当に!という気持。脳梗塞とのこと。

 急ぎ、週末の予定を立て直す。

 初盆参り、約束していた訪問など美方郡、豊岡市での用事を急いで済ませ、車で伊丹空港へ。

 15時20分伊丹発新潟行の飛行機に乗る。新潟駅から新幹線で長岡駅へ。

 早朝に東京を出発していた磯秘書運転のレンタカーで山古志の長島宅へ。

 長島さんは静かに横たわっていました。顔をじっと見つめました。語りかけました。こんな形で長島さんと別れなければならないのが、残念です。無念です。そして信じられません。

 中越地震、そして村長として経験を生かしてまだまだ国政で活躍していただかなけばならなかった。

 選挙区のみならず、東北の被災地、そして全国の多くの方が嘆き、悲しみ、ショックを受けていると思います。

 穏やかで、包容力があり、芯の強い、そして私には誰よりも話かけ易い、「復興の同志」でした。

 中越地震、豪雨被災地、そして東日本大震災、そして地方を元気にするためにともに働いた数多くのこと、長岡の花火大会、一緒に飲んだ様々な場所が胸を過(よぎ)ります。

 奥さまの久子さんは気丈でした。というより気丈に振る舞っておられたと思います。

 2人の息子さんも大きなショックだったでしょう。

 久子さんは「皆さんに助けられて」「皆さんのおかげで活動することができました」と、こんな時にも感謝の言葉を述べられました。

 息子さん達に、「しっかりお母さんを支えて」と伝えました。

 夜に東京へ。

 20日(日)は「長島ショック」で一日赤坂宿舎。

 日用品の買物の他は宿舎の片付けで外に出ず。

 部屋を回りながら、汗をかく。ひたすらそのことに専念。

 携帯に電話しても彼が出ることはもうありません。