13日(水)早朝、選挙区より株本順夫(のぶお)氏御逝去との連絡。突然のことで驚きました。

 昭和3年生れの株本さんは、旧制中学、海軍兵学校、戦後に同志社大学で学ばれた後、20代で家業を継ぎ、今や地域ではなくてはならない建設会社に育て上げました。

 業界関係の仕事のみならず、子ども達のために相撲道場を開設し、郷土の伝統文化の保存にも力を入れ、陶芸の腕は玄人はだしでした。

 私の父の後援会長を長く勤めていただき、一人っ子の父は兄弟のように思っていました。

 親分肌で口が荒いところもありましたが、根は心優しい方でした。心より御冥福をお祈りします。

13日(水)と14日(木)は、地方自治関係の兵庫県の叙勲受章者への挨拶、全国町村議長大会、日本海沿岸地帯振興促進議連世話人会への出席、党本部では水産部会(燃油問題)、行革推進本部など。

 党の行革推進本部の会合では、数合せ以外の何の益もない国立美術館と国立文化財機構の統合は反対と強く論陣を張る。

 復興関係では震災遺構の対処方法について、被災地の首長、根本大臣と意見交換、すり合せ。
 
それらの合間に株本順夫氏の弔辞文案を考える。地元の赤花秘書がよく考え抜いた文案を更に練り、手を加える。

 14日(木)夕方、株本順夫氏の通夜に出席のため鳥取空港へ。