朝、6時50分。赤坂宿舎から長島議員と東京駅へ。


 今日、明日と、東日本大震災から1年を迎えるに当たって、被災地の現状、課題をしっかりと把握するために、岩手、宮城に出張です。党本部職員の水野さんも一緒です。福島は既に額賀先生などが現地ヒアリングしています。


 7時32分発の「はやて215号」に乗り、9時59分盛岡着。盛岡は10cm位の雪。しかし気温はそんなに低くありません。


 盛岡から山また山を三陸沿岸に向けてひたすら車で走り、2時間半後の12時半過ぎ宮古市に着く。


 鈴木俊一前代議士の佐々木秘書、党地元支部の千葉さん、前川宮古市議会議長と昼食を食べながら意見交換。


 最初に田老町漁協に伺う。田老町は平成17年に宮古市に合併しましたが、明治と昭和の三陸大津波で破壊的な被害を受け、昭和33年完成の長さ1350m、高さ10mの大防波堤をも呑み込みました。963隻の船も82隻しか残らなかったとのことです。


 小林組合長、藤井参事などに漁港の復旧状況、水揚げ・水産加工の状況、高台移転計画の進捗などを伺いました。


 漁業者の所得確保が厳しいこと、まちの土地利用が確定しないと施設復旧には取り組めないこと、また、建物を作るに際しての建築確認の緩和などを訴えられました。


 次に高台にある県立宮古病院へ。三陸沿岸の県立4病院のうち唯一津波の被害を免れた病院です。


 佐藤院長、菊池副院長より、震災時の対応、全国のDMATや自衛隊の活動などのお話を伺いました。


 医療の課題として、(1)通信途絶への対応(2)自家発電の強化(3)ガソリン不足への対応を指摘されていました。


 宮古市最後は市役所です。山本宮古市長、総務省から出向の名越副市長などと意見交換。


 市の方からは(1)技術者が全く不足していること。(2)高台移転候補地の埋蔵文化財調査に時間が相当要しそうなこと(3)集団移転の完成までの期間が4~5年は費やすことになるなどの懸念を訴えられました。


 16時頃に宮古を出、再び内陸の盛岡市へ。


 18時半より、盛岡市のホテルで、自民党県議団との意見交換会。佐々木県連会長代行ほか、10人もの県議に参加していただきました。


 高台移転事業が相当年度要することへの対応、もともと盛んであった地熱発電開発への支援、まちづくり技術者不足への対応、JR線の早期復旧、復興の前提となる防潮堤、防波堤の早期復旧、雇用確保の強化、商店街への更なる支援、“コミュニティ”を含めた再生まちづくりへの支援、立ち遅れている漁業、水産業への支援等々です。


 人的支援は例えばチーム単位の支援の検討、あるいは復興交付金事業を数年で使えるように基金化を検討することも必要だと思いました。


 20時過ぎまで熱心に議論が交わされました。


 今日列車と車の乗車時間は8時間。