さとやんですニコニコ


娘の誕生日に
「何がええ?」と聞くと
「やっぱりお金が1番
使いやすいわ」と答える

うちの家では毎年
現金と決まっている


大切な人に心から
喜んでほしいからこそ
贈り物は悩みどころ


相手のことを想いながら
あれこれ考える時間そのものが素敵なことで

本当のプレゼントは
モノではなく時間だ


お金を稼ぐために働いた時間

自分の為に「何にしよう?」と
考えてくれた時間

自分の為に割いてくれた時間

自分のために時間を使い
思いを馳せてくれた事が
嬉しくて有り難い


そんな気持ちが大切なのは
よ〜くわかっている


でも本当に

相手が選んでくれた
プレゼントはどんなものでも
嬉しいと思えるのか?


私はこれまで何度か心の中で
「ああ…これはちょっと違う…」と思いながらも
「うわぁ〜ありがとうぉ!」と
とびきりの笑顔で受け取ってきた


以前

誕生日に友達から大きく
「里美」と名前の書いてある
丼ばちを貰ったことがある

シャレだと思い
「引き出モンかい!」と
ツッコんだ

「しかもドンブリって…
小池さんやあるまいし
どんだけラーメン食べんねん!」と言う私に


「ええやろ〜♪意外と高かったんやで!自分も作ったわ♪」と…キラキラした目で言う

シャレやないんや

きっと
もらう人より幸せなのは
喜ぶ顔を見るあげる人の方
なのかもしれない


喜んで頂いたものの
今でも時々
「あのドンブリどないした?」と聞かれるたび
しどろもどろになりながら「だ、大事に置いてあるで」と答える


簡単に捨てる事もできず

そしてお返しという負担も
のしかかってくる


同じように
無駄なものをあげて
相手も迷惑かもしれない

物が増えたと思われているかも
しれない

人それぞれのモノへの
こだわりは思うより強い


プレゼントを送る人の
「喜んでもらいたい」という
優しさ


ちょっと違っても
もらった人が笑顔で
喜んでるふりを
してくれる優しさ

それがしんどい…

そんなこともあって
贈るのも贈られるのも苦手

そもそもイベントに
頓着がないし
ある程度のモノは自分の
稼いだお金で買える


もうプレゼント制度を
撤廃したいと思い
「モノはいらん!」と
宣言した


誕生日に一緒にゴハン食べたり
一緒にコーヒーを飲みながら
お喋りするだけでいい

同じ時間を過ごしてくれるだけでじゅうぶん嬉しく
私たちの距離を縮めてくれる


もしかしたら残らない
プレゼントの方が心に
残りやすいのかもしれない




贈り物の形は自由でええねん