第七代孝霊天皇の皇子として生まれた大日本根子彦国牽命
(おおやまとねこひこくにくるのみこと)は、孝霊三十六年に十九
歳で皇太子になりました。四十年後に孝霊天皇が崩御し、大日
本根子彦国牽命が即位し孝元天皇となりました。
孝元四年、天皇は都を軽の境原宮(さかいはらのみや)に遷し
ました。軽は現在の奈良県橿原市大軽町付近で第四代懿徳(い
とく)天皇もこの地に都しています。
孝元七年、鬱色謎命(うつしこめのみこと)を皇后とし、皇后は
「四道将軍」の一人である大彦命や、稚日本根子彦大日日命(
わかやまとねこひこおおひひのみこと)(次の開花天皇)を産み
ました。天皇はまた妃(伊香色謎命)(いかがしこめのみこと)と
の間に、武内宿禰(たけのうちのすくね)の祖父である彦太忍信
命(ひこふつおしのまことのみこと)も設けています。
天皇は古事記によると五十七歳で崩御し、剣池嶋上陵(つるぎ
のいけのしまのうえのみささぎ)に葬られました。