皇后八幡神社のブログ

皇后八幡神社のブログ

広島県三原市須波西にある「皇后八幡神社(こうごうはちまんじんじゃ)」のブログです。

「あの人は海千山千だから、気を付けた方がいいよ」という言い方

 

をすることがあります。

 

「海千山千」とは「海に千年、山に千年住み着いた蛇は龍になる」

 

という中国の古い言い伝えに由来しています。

 

そこから、長く生き、世間の表も裏も知り尽くした人は、したたかな

 

ずる賢さを持っているという意味に転じました。

 

日本が海に囲まれ、山がたくさんあることを表現したことでは

 

ありません。

 

本来はあまりいい意味としては使われない表現です。

 

 

高倉天皇の第四皇子である尊成(たかひら)親王が産まれたのは

 

福原遷都や源頼朝の挙兵のあった動乱の年でした。三年後の

 

一一八三年(寿永二)、平家が安徳天皇を伴って都落ちしたため

 

京は天皇不在となって、新天皇を立てることとなりました。後白河

 

法皇は高倉上皇の皇子・尊成親王を選び、そこで、尊成親王が

 

四歳で皇位につきました(後鳥羽天皇)。しかし。平家が安徳天皇

 

と共に三種の神器を持ち去っていたため、後白河法皇の院宣に

 

よって神器なしで践祚するという異例の即位でした。

 

在位十六年の前半は後白河法皇の院政でしたが、一一九二年

 

(建久三)、に法皇が崩じ、源頼朝が征夷大将軍となって鎌倉幕府

 

が開かれると、後鳥羽天皇の親政となりました。そして一一九八年

 

(建久九)、十九歳の天皇は第一皇子為仁(ためひと)親王に譲位

 

して(土御門天皇)、院政を開始し、土御門(つちみかど)、順徳(

 

じゅんとく)、仲恭(ちゅうきょう)天皇の三代、二十三年にわたって、

 

上皇として政治を取り仕切りました。後鳥羽上皇はまれにみる

 

多芸多才の持ち主で、特に和歌は一流で「新古今和歌集」を勅撰

 

しました。

 

「承久の乱」一二二一年(承久三)は、後鳥羽上皇が鎌倉幕府を

 

倒そうと兵をあげた争乱であります。これにより後鳥羽上皇は

 

敗北し、隠岐に流される直前、出家して法皇となりましたが、その

 

後十九年を配所で過ごし六十歳で崩御しました。

 

 

蒙霧升降(ふかききりまとう)もうむしょうこうとも言います。

 

七十二候の立秋の末候で、8月18日から22日頃までを言い

 

深い霧が立ち込めるという意味です。

 

前日に雨が降った早朝などに、山や水辺に白く深い霧が立ち

 

込めることがあります。

 

雲と霧は現象としては同じものですが、大気中に浮かんでいる

 

ものが雲、地面に接しているものが霧と呼ぶそうです。

 

同じ現象で春にあらわれるものは霞といい、秋は霧といいます。

 

春の霞は暖かそうですが、秋の霧はなんだかひんやりした

 

感じがしますね。

 

まだまだ残暑が厳しく、雨も降らず、日中は広島県でも35度の

 

予報が出ています。夜はやっと我が家ではクーラーなしで寝られる

 

ようになってきました。天気予報ではや一日だけ20日頃雨の予報

 

が出ていました。この暑さ早く一雨欲しいものです。