書の神様が微笑むとき、背を向けるとき?孫過庭「五合五乖」に学ぶ、書との向き合い方
こんにちは!今日のテーマは、書道を学ぶ上で、いや、何かを生み出す全ての人にとって、ハッとさせられる考え方です。それは、中国の隋の時代に生きた偉大な書家であり、理論家でもあった孫過庭(そんかてい)が、その著書『書譜(しょふ)』の中で唱えた「五合(ごごう)」と「五乖(ごかい)」という考え方です。
まずは「書譜」ってどんなもの?
記事の最初にも触れましたが、孫過庭の『書譜』は、単なる書道の指南書ではありません。タイトルにある「譜」という字。角川大字源で調べてみると、
* 順序に従って系統的に並べたもの。
* しるす。順序に従って書く。
* 音楽の調子を符号で書いたもの。
とあります。これらを踏まえると、『書譜』はさながら「書の系図」のようなものと言えるかもしれません。古代の優れた書家たちの流れを辿りながら、どのような人がどんな書を学び、どのような境地に達したのかが語られています。そして最後には、孫過庭自身の書道観へと繋がっていく壮大な書論なのです。
書く時の「最高の状態」と「そうでない状態」
そんな『書譜』の中で、私が特に大切にしているのが、今回ご紹介する「五合と五乖」です。これは、書を書くにあたっての5つの適した状態(五合)と、5つの適さない状態(五乖)のこと。
生きていれば、誰でも調子の良い時と悪い時がありますよね。それは書を書く時も同じだと、孫過庭は言います。
書くのに適した5つの状態「五合」
これらの状態が揃うとき、書家は自身の最高のパフォーマンスを発揮できるとされます。
* 神怡務閑
* 意味: 心が安らかで、雑務から解放されている状態。
* 解説: 精神的に穏やかで、他の事に気を取られることなく、書に集中できる心の状態を指し
ます。心が乱れていては、筆も乱れてしまうということです。
* 感恵徇知
* 意味: 感受性が豊かで、知恵がそれに従って働く状態。
* 解説: 心に感じたこと(感)が、知性や知識(知)と結びつき、それを表現しようとする意 欲が湧き上がる状態です。表現したいイメージが明確で、それをどう実現するかという知的 な働きが伴っていることを示します。
* 時和気潤
* 意味: 時候が穏やかで、湿気がほどよく潤っている状態。
* 解説: 物理的な環境が書に適していることを指します。暑すぎず寒すぎず、空気も乾燥しす ぎていない、筆や墨が最高の状態で使えるような気候条件です。書は墨の濃淡やにじみも表 現となるため、湿度も重要視されます。
* 紙墨相発
* 意味: 紙と墨が互いに良い影響を与え合っている状態。
* 解説: 使用する紙と墨の相性が抜群で、墨が紙にすっと吸い込まれ、美しい線が生まれる状 態です。どちらか一方が粗悪だと、どんなに技術があっても良い作品は生まれません。道具 の質と相性がいかに重要かを示しています。
* 偶然欲書
* 意味: 偶然に書きたくなる衝動に駆られる状態。
* 解説: 計画的ではなく、ふとした瞬間に「書きたい!」という純粋な欲求が湧き上がってく る状態を指します。このような自発的な創作意欲こそが、最も良い作品を生み出す原動力と なると考えられます。
書くのに適さない5つの状態「五乖」
これらの状態にあるときは、無理に書こうとしても、期待するような結果は得られないとされます。
* 心遽體留
* 意味: 心が急いでいるのに、体が滞ってしまう状態。
* 解説: 気持ちは焦っているのに、体が思うように動かない、あるいは集中しきれない状態で す。精神と肉体の不一致が、書に悪影響を与えます。
* 意違勢屈
* 意味: 書こうとする意思に反して、筆の勢いが弱まってしまう状態。
* 解説: 頭の中にはイメージがあるのに、筆を持つと途端に勢いが失われたり、力がうまく伝 わらなかったりする状態です。表現したいことと、実際の筆の動きが乖離していることを示 します。
* 風燥日炎
* 意味: 風が乾燥し、日が炎のように照りつけている状態。
* 解説: 「時和気潤」の反対で、書にとって悪い物理的環境を指します。乾燥した風は墨の乾 きを早め、炎天下では集中力も散漫になりがちです。
* 紙墨不称
* 意味: 紙と墨の相性が合わない状態。
* 解説: 「紙墨相発」の反対で、紙と墨の質や相性が悪く、墨がにじみすぎたり、弾かれたり して、思ったような線が出せない状態を指します。
* 情怠手闌
* 意味: 感情が怠惰で、手元がおろそかになる状態。
* 解説: 書に対する情熱が薄れ、気持ちがだらけているため、筆を握る手もいい加減になって しまう状態です。集中力や意欲の欠如が、作品に直接影響します。
これらの「乖」の状態の時には、どんなに普段鍛錬を積んでいても、なかなか思うように筆が進まず、実力を発揮することが難しいでしょう。
調子が悪い時は無理しない。「書くのをやめる!」という選択
孫過庭は、これらの「合」と「乖」は、私たち人間にとって避けられないものだと述べています。まるで波のように、良い時もあれば悪い時もある。だからこそ、自分の状態を客観的に見つめることが大切だと教えてくれているように感じます。
書道の先生がよく言う「神が降りてくるのを待っている」というのは、まさにこの「合」の状態になるのを待つ、ということなのでしょう。無理に書いても良い作品は生まれない。それよりも、心が落ち着き、筆が進む「その時」を待つ方が賢明なのかもしれません。
スタジオジブリの映画「魔女の宅急便」で、主人公のキキが魔法が使えなくなって悩むシーンがありますよね。そんなキキに、画家のウルスラさんが「それでも書けなかったら?」という問いに対し、「書くのをやめる!」と言うんです。この台詞を聞いた時、私はまさに「五乖」の時はどうしようもない、無理に足掻くよりも「合」の時を待つ、という孫過庭の教えと重なるものを感じました。
大切なのは日々の鍛錬、そして「その時」を見極めること
もちろん、「五乖」の状態だからといって、日々の鍛錬を怠るべきではありません。基礎となる実力が高ければ高いほど、「合」の状態になった時に、より素晴らしい高みへ到達できるはずです。例えるなら、駿馬は調子が悪くてもある程度の速さで走れますが、走るのが遅い馬はどんなに調子が良くても駿馬には追いつけない、というようなものでしょうか。
だからこそ、私たちは日々の練習を大切にしながら、いざ作品制作という時には、自分の心身の状態をしっかりと見極める必要があるのです。「今日はなんだか筆が進まないな…」と感じたら、無理せず休息するのも、良い作品を生み出すための大切な要素なのかもしれません。
孫過庭の「五合五乖」は、書道だけでなく、私たちが何かを生み出す全ての活動に通じる普遍的な考え方だと思います。「調子の波」を理解し、良い時には存分に力を発揮し、そうでない時には焦らずに「その時」を待つ。そんな心の余裕を持つことが、より良い創作活動に繋がるのではないでしょうか。
皆さんも、ご自身の創作活動を振り返りながら、「五合」の時はどんな時で、「五乖」の時はどんな時だったか、考えてみるのも面白いかもしれませんね。