女性のための
広島ネイチャーナビfukuです。
(屋号:ネイチャーガイド&アートひょんのき)
はじめましての方 →プロフィール
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山、野、川、海辺、を案内しています。
ご縁を大切に、
学び笑いある「横あるき」を実践中。
※現在 広島横あるき
2015 より225回実施継続中。
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今回の横あるきは、
東広島市の広島県最大古墳が含まれる、
三ツ城(みつじょう)古墳。
3基の古墳がその敷地にある。
そのうちの一号古墳は前方後円墳で
墳長92mある、県内最大の古墳なのです。
JR東広島駅前からスタートし、
南方向に進む、約2km緩めの上り勾配。
西に、市の図書館
その道路となりが古墳。
図書館内には、
古墳のガイダンスコーナーという
一室がある。
広くはないけれど、
貴重な資料や、古墳の模型、出土物、
復元の経緯写真などの展示されている
扉へ近づくと、
なんと「この部屋は灯りが付きません」と張り紙が。
「電球の故障」?!で
扉は開きっぱなしのまっくらな部屋。
それでも入って、目を凝らしながらみていると、
たまにチラチラと光が付き、
ビデオ設備も「故障中」とあって、その画面がいきなり一瞬だけ
動きだした時は、
「ひょっとして…新種のホラーハウス空間なのかな?!」と
内心突っ込んでしまった…
面白アクシデントに、
案内していたお客さまと笑って眺めていたら、
突然、パッ と
灯りが付いた。
館のスタッフの方がつけ、「すみません」と言って
「この部屋は灯りが付きません」という張り紙を取り出て行かれた。
「あら?!普通にスイッチ押したら付くものだったの??」
と顔を見合わせた(笑)
ま、明るくみえてよかった。
東広島市・西条は酒蔵通りがあり
駅前付近はよく知られている。
北に龍王山があり、
(盆地の酒蔵にはこの山系の良質な伏流水が仕込み水となる)
南に鏡山、吾妻子の滝、など豊かな自然がある。
↑今までご案内している場所でもある。
その中間に位置する山の裾にあるのがこの大きな古墳。
復元されたのは平成初期。
発見は1928年。約100年弱前。
1951年に発掘調査は始まった。
1987年国の史跡に指定され、
ずいぶん年を経4年の歳月をかけて
文化庁の史跡等活用特別事業により
この施設を整えた。という歴史。
古墳というと、森になっていて、埋もれ、
立体の角も不明瞭になっていることが多く、
(山城跡などもそう)
なんとなく歩いているのでは、見過ごすような状況になっていることが多い。
三ツ城古墳も調査時はそんな様子であったことが、
展示の写真でわかる。
広島県内の古墳は約11300基で全国第6位と古墳の多い土地柄といえる。
全国一位は兵庫県。
日本最大古墳との比較図のなかに、
今は無い「広島市民球場」が比較対象になっているのは、
歴史の流れを感じる。
今からの世代なら、何の施設と対比するのでしょう?
実物の古墳はお墓であるのに、明るく、公園も兼ねた遊具やベンチ、あずまやもあり、
子どもが遊ぶのに持って来いの憩いの場で、季節の良いときは、親子連れ、グループが
お弁当をもってきていたりする。
樹々も周囲にはあるので、心地よい。
ちょっとした資料展示の建物とトイレもあって季節の良いときは、丘のような
第二古墳の斜面などで、横になって空を仰ぐのもいい。
図書館側からの眺めがこちら↓
古墳のある位置を中心の地形と土地の分布図地。
↓
古墳のできる以前→ほとんど湖だった。
出来た時代→湖だった所が干上がって田んぼになる。
そして現在→田んぼのほとんどが宅地になる。
それが一目瞭然。
東広島盆地の歴史変遷をみると、
よき氣が循環しているように感じる。
どんな氏族が眠っているのか、わからない今も、
その影響力はあって、見守っているようにもおもえる。
肥沃な自然環境を生かして稲作地として
かなりの広い土地を拓き、栄えたところのはず。
今回は時を遡っての想像を楽しみを感じていただくご案内をしました。
さて、
個人案内のため、ご興味のあることを
学んでみましょう。ということで、
古墳巡りのほかに、
★電子地図の使用法実践
好きなお店に行くための情報検索と、
距離、時間予測。
↑
パン屋さん巡りで実践しました。
営業時間、情報を調べて実際足を運ぶ。
山の地図アプリ以外、Googleマップも移動には
使う。
ご興味があれば、
新しいことも覚えられる!
国土地理院の地図も
目的エリアをコンビニ印刷でき
自らご持参されるほどになりました。
素晴らしいですね!!
他にも、歩きに関しての個人ご相談もうけています。
今回の軌跡はこちら。↓