父が確か2度目の余命宣告された辺り。
あれからもう4年。
あの時の判断は、今の宝物。
毎回、佐賀から鹿児島に新幹線で日帰りする度
父はこう言った。
「智子。わざわざ来んでよかたいが。仕事が忙しかとこれ、無理すんな。」
そして、嬉しそうだった
母は毎回、レストランが立ち並ぶ大都会に
手造り弁当を持って来た
病院の休憩所で食べた、田舎の野菜やお米。
本当に、どんなご馳走よりも美味しかった。
父さん。天国で元気にしていますか?
いつも、天国から助けてくれて有難う
あなたからの支えを、日々感じています。
毎朝、お祈りするからね
母から泣きそうな声で電話が来て、
泣きながら早朝の新幹線で向かった、あの日のblog。
母も私も凄く辛かったけれど、
父も闘病でキツそうだったけれど、
父の病が、私を鹿児島に向かわせてくれて。
凄く辛くて、凄く幸せだった。
辛い事も、助け合えば笑顔になれるんだから。
父が亡くなった今も、大切な笑顔は消えないんだから
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